2024年12月9日(月)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2019年12月27日

 イラクとレバノンでは政府への激しい抗議運動が続いている。これに関して12月7日付のエコノミスト誌の論説‘Time for Iraq and Lebanon to ditch statesponsored sectarianism’は、良い結果をもたらさなかった現行の宗派・宗教間の権力分割体制を人々が否定するのは正しい、と言っている。論説の内容をかいつまんで紹介すると次の通りである。

(Ket4up/jfmdesign/iStock / Getty Images Plus)

・イラクでは、米国が全ての勢力を満足させようとして、利益供与を促し、政党と民兵組織を強化する体制を作ってしまい、民族的、宗派的分裂はかえって強固になった。イラクではこうした政党のどれかと繋がっていなければ、政治的成功は難しい。政党は省庁を現金自動支払機のように扱い、能力ではなく、忠誠心に基づいて政府の仕事を分配しており、その結果、腐敗が蔓延している。

・レバノンも同様で、国土を荒廃させた軍閥が政治家になって国富を収奪している。政府はスンニ派、シーア派、キリスト教徒の利益供与体制に資金を与えて巨額の負債を蓄積、世界銀行の推定では、この権力分割体制に絡む浪費額は毎年レバノンのGDPの9%に及ぶ。財政危機が迫るレバノンは、負債の返済を繰り延べし、改革を行う必要があるが、指導者たちにはその能力がない。

・両国の人々は自分たちの考えを反映し、自分たちの利益を代表してくれる政治体制を擁してしかるべきだ。国家支援の宗派主義、つまり宗派・宗教間の権力分割体制を止めるべきだ。透明性が向上すれば、利益供与の仕組みが明らかにされ、強力な公共機関はこうした仕組みを抑えてくれるかもしれない。

 この論説の主張は一見、過激で革命的な意見に思えるが、それなりに根拠のある良い意見である。

 レバノンの宗派間での権力分有体制は、諸宗派を権力構造の中に取り込み、諸勢力間の平和を作り出し、国家を安定させるためのものである。レバノンの隣国シリアでは、少数派のアラワイト派のアサッドが権力を独占、多数派のスンニ派を抑圧する体制であったが、内戦になったことを考慮すれば、宗派間の権力分有には良い面もある。

 しかしながら、レバノンのように大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派という権力分有に加え、国会議席の半分はキリスト教徒、半分はイスラム教徒の枠にし、またその枠内で宗派別定員を設けるのは行き過ぎであろう。このレバノンのシステムが政党の宗教性を強め、世俗的政党の存在空間をなくし、国民の選択の幅を狭めていることは否定できない。レバノンには世俗的な人も多い。今回のレバノンでの抗議デモは現宗派主義体制への抗議であり、レバノンの指導者は抗議者の意見に耳を傾けるべきであると思われる。特にこの論説が言及しているが、世界銀行が権力分有に伴う浪費額がGDPの9%に上るとしている。こういうようなことは持続不可能である。

 イラクのデモはレバノンのデモと違い、各宗派間の勢力分有システムよりも、イランの介入、民兵の跋扈(ばっこ)、政府の非効率に対するもののように思える。しかし、大統領はクルド、首相はシーア派、国会議長はスンニ派という権力分有体制が、宗派や民族に基づく政党につながっていることは事実である。国会議員は各州別の比例代表制と少数派に配慮した全国区の比例代表制で選ばれており、宗派主義は議会においてはレバノンのように強くない。しかし利益供与システムとしての宗派政党は存在している。やはり改革が必要であろう。特にシーア派民兵の跋扈などは国家としてのイラクを脅かす。 

 自由民主主義国家では、個人をその宗教的所属で分けないで、その人権を等しく尊重し、自由に意見を言わせ、自由に政党も作らせするのが基本である。国内が分断された国では、分断している諸勢力を権力分有で権力構造に取り込むことが平和につながると考えられてきたし、それには一理あるが、同時に、それは分断を強める作用もある。

 レバノン、イラクにはヒズボラ、シーア派民兵などイランの影響化にある勢力があり、ここに言う改革はそう簡単に進まないと思うが、論説の言うところが目指すべき方向性であると思われる。ただ、中東は難しい地域である。イスラム教は政教分離を是とする宗教ではない。キリスト教が「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」としているのとは違う。

 

  
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