中国では大きな政治事件が起きた直後には、主要ポストにある幹部が機関紙を通じて「党中央への忠誠」を示すのが一つのパターンである。張の所属する第二砲兵が「人民日報」に投じた文章の署名欄は張の名前はなく、部下の殷海龍政治部主任名義で出されたことで噂が加速されたのだった。
ちなみに張海陽は故張震上将の息子で、解放軍始まって以来初めて父子がそろって大将まで昇進した軍人として話題となったばかりである。もし、その栄誉が吹き飛んだとすれば、単に薄と親交が深かったというだけではないつながりがあっただろう。
「歴史が無実を証明する。党中央を信じている」
と語った薄煕来
では、その震源地である薄はどうしているのだろうか。
3月末から自宅軟禁となって沙汰待ち状態に置かれていた薄は、4月9日、党中央規律検査委員会と組織部からなる取り調べチームによって呼び出しを受け、人民大会堂で正式に「双規」を告げられるのだが、その際、東単にある北京の住まいに立ち寄って、当面必要となる日用品を用意したとされている。東単の家で、薄に遣える使用人たちと顔を合わせた薄は、彼らに対し暇を出すとして、こう言ったという。
「しばらく休んでもらうが心配しなくてもいい。事実は必ず明らかになるだろうし、私は党中央を信じている」
今回の事件処理に関して特徴的なのは、薄家の生活秘書を筆頭に周囲の人物が皆、素直に捜査に協力し事件解明に貢献しているのに反して、薄本人が頑として罪を認めず沈黙を守っていることだ。
河北省に送られた薄は、やはり「歴史が無実を証明する。党中央を信じている」とだけ言うと、その後は基本的には沈黙を続け、抗議の絶食を試みたこともあり、紀律検査委員会の要請で人民解放軍301病院から医師が派遣されたこともあったと伝えられる。
王立軍の「罪」が見過ごされないであろう理由
こうしたなか、もう一人のキーマンで今回の一連の騒動のきっかけをつくった王立軍元重慶市公安局長で元副市長の動静を香港メディアが報じている。それによると王は、近々「国家反逆罪」で裁判にかけられるという見通しだというのだ。
こうした政治の絡む事件が起きたときに垂れ流される香港情報は、伝統的に日本のメディアが重宝するものながら、精度に関しては疑問符のつくものがほとんどだ。だが、この見立てに関しては恐らくそれほど間違ったものではないように思われる。
王の成都にあるアメリカ総領事館駆け込み事件は、それによって現政権にとって問題児でもあった薄の政治生命を絶つきっかけになったことで、結果的に党中央には追い風として働いたのは間違いない。こうした事情から、王の駆け込みも含めた一連の動きを一つの「仕組まれた事件」とする見方も存在する。