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2020年5月20日

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五十嵐 中 (いがらし・あたる)

横浜市立大学医学群健康社会医学ユニット准教授/東京大学大学院薬学系研究科客員准教授

2002年、東京大学薬学部薬学科卒業。08年、東京大学大学院薬学系研究科博士後期課程修了。同大学院特任助教・特任准教授を経て、現職。専門は薬剤経済学。著書に、『薬剤経済わかりません』(東京都書)など。

研究の限界その1
「代表性の問題」

 どのような研究にも、限界は存在する。「限界があるから価値がない」ではなく、どのような限界点があるのかを見極めつつ、次の研究に役立てていくことが重要である。 

 今回紹介したような研究でまずポイントになるのは、研究の代表性、すなわち「研究に参加した人から得られた結果を、他の人にもあてはめられるか?」という点である。

 例えば、日本で行われた4つの研究(注7~10)は、いずれも病院・クリニックの来院者を対象にしたものである。とくにクリニックでの抗体検査研究(注9)のように、「抗体検査を希望して受診した人」をターゲットにすれば、一般の人よりも感染リスクは高くなる。

 また、海外の研究でも、カリフォルニア・サンタクララ(注6)のように「Facebookを通じて希望者を募り、ドライブスルーで検査を実施する」スタイルだと、不安に思った人(すなわち、リスクの高い人)が多く参加することに加え、「SNSを使えてクルマを持っていること」が前提となり、潜在的に所得の高い層に参加者が偏ることになる。

 ニューヨーク州の検査(注11)は、不要不急の外出禁止の状況下で、食品スーパーなどに臨時に設置した検査コーナーで実施された。外出禁止下で買い物に来た人(と、スーパーの従業員)を対象にしているので、人との接触の機会が多い人に偏る可能性はある。

 このように、どのような研究であれ、代表性の問題は多かれ少なかれ存在する。いくつかの研究では、背後の集団とできるだけ背景を揃えるための調整を行っている。抗体検査に限らずよく使われるのは、年齢や性別のバランスを揃える調整法だ。完全な代表性を追求するなら、住民全員検査のような、予算的にも時間的にも非常に困難な選択肢しか残らない。「どんな限界がありそうか?」と「得られた結果は、どこまで他の人たちに当てはめられるか?」は「1か0か」ではなく、研究の実施者と研究の使い手の双方が考えるべき課題である。

 なお、代表性の問題を「一般人よりも高リスクだから意味がない」「全住民に適用できないような研究は無意味である」のように解釈するのは誤りである。医療機関の来院者や医療従事者、さらには高齢者施設など、感染リスクが高いと考えられる集団で検査を行ったら、陽性率が高くなることは必然である。「誰を対象に行ったか」を適切に記述すれば、現状をとらえるために十分に価値のある情報である。

 「高リスクの集団での結果を、むやみに対象を拡げて全住民に当てはめてしまう」のが問題なのであって、結果を同じような高いリスクの集団に当てはめるならば、むしろ適切な使い方といえる(状況を逆転させればより理解しやすくなる。仮に、全住民での感染割合が0.01%のようなデータが先にあったとしよう。超高リスクの集団への対策を考えるときに、「この集団でも感染割合は0.01%だから何もしなくてよい」のような推論は明らかに不適切であろう)。

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