2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2020年5月31日

(2019.7.23~9/2 42日間 総費用20万円〈航空券含む〉)
8月15日の聖母昇天祭に聖地巡礼するために行進している若者達。街道では様々なグループの巡礼団に出会った

 7月25日、 クラクフのホステルでポーランドの中央部平原の小都市ウーチからクラクフに遊びに来た女子高生と一緒になった。2人は高校を卒業直後で、秋から大学に進学する。2人ともチャラチャラした外見に似合わずしっかりと自分の意見を持っていた。英語は上手くないが十分意思疎通できた。

公立学校はストで長期休校

 高校生活について聞くと「春から公立学校(public school)の教員組合(teachers union)のストライキが始まってポーランド全土で1カ月以上も休校が続いているけど解決の兆しが見えない」と想定外な回答。

 教員組合は政府に対して賃上げを求めたが政府は財源難を理由に消極的。公立学校教員の給与水準は単純労働者と変わらないので、教員組合の賃上げ要求とストライキは正当であると二人は支持を表明。

 EU加盟後、ポーランド人はEU域内を自由に移動できるので高賃金を求めて膨大な数のポーランド人がドイツやオランダなどへ出稼ぎに出ている。他方ポーランド国内で不足する労働力はロシア、ウクライナやアジアなどからの出稼ぎ労働者でカバーしている。そのため国内の賃金水準が上がらない構造があるという。

公立学校では“宗教の時間”が必修科目

 宗教の時間ではカトリックの教義を学ぶ。人口の90%以上がカトリック教徒でカトリック教に違和感はないが、必修科目として“勉強させる”ことはナンセンスと2人は切り捨てた。

 “宗教の時間”の実態は“聖書を読むだけ”で耐えられないほど退屈(boring)。“宗教の時間”を担当する教師も歴史や国語が専門であり、国の方針で仕方なく“宗教の時間”を受け持っているだけで“やる気がない”。

 “宗教の時間”は政治的理由により設けられたという。社会主義体制を打倒して誕生した新生ポーランドの政治家たちは国民国家としてのポーランド統合の求心力としてカトリック教を政治利用した。プーチンがロシア正教を手厚く保護しているのと同じ理由だ。

 しかし皮肉なことに退屈な“宗教の時間”によって若者の“教会離れ”が進んで、現在では教会の日曜礼拝に行く若者はほとんどいないとのこと。

国家が消滅、国民が虐殺された歴史

ポーランド北部の森林地帯で偶然見かけた強制収容所の高圧電流柵の遺構

 ポーランドの学校教育では歴史が重視されており、中学・高校では多くの時間が割り当てられているという。なかでも18世紀のポーランド分割と第2次世界大戦は歴史の授業の最重要パートであり詳細に史実を学ぶようだ。

 『負の世界遺産』として有名なアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(concentration camp)見学は歴史授業の必須プログラムという。さらにそれぞれの学校の所在地近くの強制収容所跡も見学する。

 ナチスドイツによる組織的殺戮というとユダヤ人の大量虐殺を思い浮かぶが、ユダヤ人に次いで大量虐殺されたのはポーランド人という。

EUと民主主義はポーランドの生命線

 2人によるとEUは“国家の自由を奪う”としてEUに対して批判的な意見も最近は多いようだ。財政問題でEU本部が介入してくるとか、難民受入れを強制するとか個別の問題でかなりの国民が反対しているという。

 しかし2人はEU加盟国であることがポーランド国家の存続にとり絶対条件(MUST)であると強調した。EU加盟国であることからロシアの潜在的脅威に対抗できるというのがポーランド国民の共通認識(consensus)でありEU離脱は誰も本気で望んでいないと断言した。

 ポーランド国民は歴史的経験から共産主義や全体主義には嫌悪感と警戒感を持っているという。二人はポーランドが労働組合運動“連帯”により民主主義を勝ち取ったことを強調した。それがポーランド人のポーランド国民としてのアイデンティティーを確固たるものにしているという。

日本の学生は“日本人”そして“国際人”になれるのか

 女子高生2人の歴史認識、政治感覚を聞きながら意識の高さに感心した。一方で日本の教育の現状が危うく思われた。

 日本では大学受験科目でないので世界史や日本史を“捨てた”という若者が多い。そして歴史教科書は薄くて授業時間も少ない。それで日本史も世界史も古代から近世くらいまでしか授業できない。詰め込み教育否定の風潮により基本的史実(年代・名称・背景など)すら知らないで高校を卒業。

 これでは外国人と時事問題を議論できないし、個別の問題で日本の立場を説明できない。小学校から英語を必修にすることで“世界に通用する国際人”を育成するという文科省の方針に疑問を感じるがいかがであろうか。

刻苦勉励の社長さんは中高年バックパッカー

 7月29日から10日間かけてクラコウからバルト海のグダンスクまで500キロあまりキャンプしながら自転車移動。

 7月31日夕刻Szczercowという町に到着。資材倉庫の隣の豪邸の軒下のテーブルで夫婦らしき2人が午後のお茶をしていた。

 ご主人のザドジンスキー氏は社会主義経済崩壊後の混乱期に水道工事屋を始めて、現在では従業員を何人か抱える水道工事会社を経営。

 氏は1962年生まれの57歳。日本のオジサンより9歳年下になる。年に数回海外旅行するのが趣味。豪邸の中は家族旅行の思い出の写真が飾られている。最近は1人旅も多いようだ。エジプト、トルコ、インド、ソマリア、エチオピア、エクアドル、コロンビアなど40カ国を歴訪。筋金入りのバックパッカー親爺である。

 すっかり意気投合してポーランドウオッカで乾杯しながらBBQで肉や野菜を焼いて満腹。軒下に寝袋で眠ろうと考えていたら、ご主人は息子の部屋が空いているからと案内してくれた。豪華なソファーベッドで熟睡。


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