楽観、萎縮、様子見
ただ、法律が7月1日から施行されたといっても「100万ドル夜景」という明るさが突如「0万ドルの夜景」になったという風に社会が変わったわけではない。デモが起こった翌7月2日はおおざっぱに言えば普通の生活が送られた。香港についてまったく知識がない人が訪れたら、これまで大荒れの展開だったことを気付くことはないだろう。
実際にはどうなのだろうか? いろいろな人と話していると、意外に楽観している人が少なくない。年齢的にいえば40代以上は特に多い。なぜか? 香港が中国に返還される1997年の時、香港の中国化を恐れてカナダなどに移民する人が多いというニュースを聞いたことがある読者の方も多いだろう。実際、香港以外のパスポートを持っている人は多い。返還後は2014年の雨傘運動や安全維持法のようなことは別として、香港は香港のままで、それほど大きく変容しなかった。「今回もそうなるのではないか?」と考える人が多いからだ。
では、萎縮はどうか? もちろんこれもある。日本でも大きく伝えられたが、民主派団体「香港衆志(デモシスト)」の中心メンバーだった、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)、羅冠聡(ネイサン・ロー)の3人が脱退を表明し、デモシストは解散となった。また、逃亡犯条例の抗議活動中、民主派を応援する店などを黄色、親中派を青色に区分けしていたが「黄色経済圏」の象徴的なレストランであった「龍門冰室」が黄色経済圏から退出すると表明したほか、ほかの飲食店でも似たような事例が発生している。今後はもっと増えていくだろう。
現時点で一番多いのは「様子見」だ。施行されてまだわずかな日しか経過していないので、当局がどのように運用していくのかわからないからだ。7月2日から普通の生活に戻っているのもそういった面がある。ただ、香港人は超がつく「プラグマティック」な人たちなので、念のために「口座にある預金、ペッグ制がなくなって香港ドルの価値が減っていくのが怖いから、香港ドル建てを減らして米ドルに換えている」という会話にもなる。
合理的判断よりも面子
国家安全維持法は、「1国1制度へ転換か? コロナ禍で加速する香港の中国化」でも書いたが、中国政府が香港を飲み込む1つのケースとして、「国際的な非難を浴びてもいいから、香港の混乱を収め、その結果、香港が単なる中国の1都市としての扱いで構わない」と腹をくくった時だと書いた。日本やアメリカなどのG7を含め世界からあれだけ懸念されても遂行したのだから、たぶんそうだったのだろう。クリミアを併合したロシアは経済制裁を受けているが、巨大市場を抱える中国には、そこまで踏み込んでこないという計算もあるはずだ。
一部の学者や欧米あたりメディアは合理的な判断ができていないと中国を非難する。彼らのロジックではそうかもしれないが、それは中国には当てはまらない。戦争に敗れ、列強の租界地になり、香港を失うという屈辱を晴らすことが重要だ。ロジックよりも屈辱または感情…いや中国的にいえば「面子」が優先される。そこを理解しないと、今後の中国との対応を誤りかねない。
新型コロナウイルスは世の中の動きを早巻きした感がある。リモートワークなどはやろうと思って先送りしてきたことがコロナによって一気に導入が進んだ典型だろう。香港の基本法の23条には国家安全条例を制定しなければいけないという文面があり、それを受けて2003年に香港政府が実施しようとしたが失敗した。2019年の逃亡犯条例改正案も元をたどればその流れだ。
これまでの経緯を考えると国家安全条例は2047年の1国2制度終了までにいずれ成立させなければいけない法律だったが、新型コロナはある意味タブーとされてきた“国家の安全モノ”の法律を基本法18条の付属文書3を利用してそれを一気に法制化させてしまったといえる。新型コロナウイルスは香港がある意味、先送り、または顕在化させてこなかった問題を実行させるという皮肉な結果を生んでしまった。
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