中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)常務委員会は6月30日を全会一致で可決した。1国2制度が形骸化される恐れが出てくる象徴的な出来事だ。その翌日の7月1日は香港の中国返還記念日で、毎年デモが行われているが、今年は当局から禁止されたにも関わらず、大勢の人が参加して抗議の声を上げた。
最高刑は終身刑、香港外で抗議活動をした人が香港に入ったときにも適用
全部で66条からなる法律は「国家分裂」、「国家や政権転覆」、「テロ活動」、「外国勢力と結託し国の安全に危害を加える行為」という4つに分類され、逮捕されると刑事責任が問われる。
中国政府は国家安全に関わる情報の収集・分析や国家安全を脅かす犯罪事件の処理などを扱う「国家安全維持公署」を新設する。つまり、中国の公安当局が香港の治安維持を行うことが可能になった。また、行政長官をトップとする「国家安全維持委員会」というのも設置されるが、中国政府が監督し、顧問を派遣して関与する。
行政長官が国家の安全についての審理する裁判官の指名を行うことになった。香港はイギリス人を中心とした外国人の裁判官も多いが、この案件において外国人裁判官は指名されないことが想定され、判決が偏る可能性がある。法律の解釈権は全人代常務委員会が持つほか、香港と中国の法律が矛盾する場合は中国の法律が優先される。第41条では裁判は非公開で行えるとしている。
量刑は犯した罪にもよるが、最高刑は終身刑となるほか、一度でも違反した場合には永遠に参政権をはく奪される。捜査では通信傍受なども可能で、信号などの交通施設の破壊や電力、
外国人には第38条が強烈で「香港の外にいる香港の永久居住の身分を持たない者が、香港特別行政区に対して本法律が規定する罪を犯した場合にも、本法律は適用される」…つまり、日本人が銀座で安全維持法に違反をし、後日、香港に入ろうした場合、入境手続きの時に逮捕される可能性があるということだ。
中国政府は過去には遡らないとしているが、まだまだどうなるのかが分からないというのが実情で、すでにフェイスブックなどのSMSでの投稿を削除している人もいる。
デモを禁止にまったくひるまず
香港警察によって7月1日のデモは禁止された。しかし、それでデモをしないということは香港人にはありえなかった。主催者の民間人権陣線(民陣)の陳皓桓副招集人や民主派政治家の胡志偉らは個人の身分でデモを実行すると表明していたが、当日は例年よりも参加者は少ないが、やはり若者を中心にそれなりの人々が集まりデモ行進を開始した。
デモ行進はこれまで行われてきた香港島を東西に結ぶ目抜き通りの軒尼詩道(ヘネシーロード)などを中心に行われるが警察が封鎖して行進をできないようにしていたほか、ヘネシーロードにつながる道路の一部も封鎖したり通行制限を課したりしたことで、デモ隊はヘネシーロードを挟んで平行している通り分散する形となった。
2019年の逃亡犯条例の時に若者がスマホをつかって神出鬼没に抗議活動を起していたが、ヘネシーロードを使えなくしたことで、あちらこちらでデモ活動やシュプレヒコールが起こる展開となった。禁止した結果、警察はあちらこちらをカバーする必要が発生し、人員の配置をどんどん変えていく必要に迫られたほか、放水車を一定のエリアをパトカーの巡回パトロールのような形で動かさざるを得なくなった。
抗議活動者が多いところでは放水を行ったが、これまで青い水を使った放水が多かったが、今回は催涙成分を含んだ水のようで、筆者は放水活動を行ったあとに現場に着いたが、成分がまだ空気中に残っていたため、匂いがしたと思ったらあっという間にむせた。すぐ対策用のマスクとゴーグルをつけて身を守ったが、デモ隊の大勢の人はむせてせき込んでいた。
勇武派は特に夕方以降に活動を活発化。時代広場(タイムズスクエア)と呼ばれるモールそばの通りの波斯富街(パーシバル・ストリート)でレンガ張りの歩道のレンガを堀り出して、それを道にばらまき警察車両の進入を防ぐなどをしていた。
抗議活動の中で、A4サイズの紙と、それに合わせた大きさの段ボール紙、ペンを配っている人達に配っていた。話を聞くと「すでに刑務所に入っている人達へのメッセージを書いてもらっています。収監されている人たちに『あなたたちは1人ではないのよ』ということを知ってもらいたいから」と話してくれた。実際にメッセージを書き込んでいる男性に話しかけると「これは2枚目です。1枚目は中国語で、2枚目は英語で書いています。刑務所の中には不当に入っている人もいるので、勇気づけたかったのです」と語っていた。
別なところでデモの参加していた女性は「今はイギリスで学生をしています。夏休みで香港に戻ってきました。法律は特に恐れてはいないです」と答えながら、彼女の目線の先には警察に向かっていた。最終的に逮捕者は約370人に上ったが、最初に逮捕者はバックパックの中に「香港独立」と書かれた旗を持っていたことが理由で、安全維持法の怖さを見せつけた。