2024年4月26日(金)

赤坂英一の野球丸

2020年9月23日

いいお手本を示してくれた

 こんな話ばかり書くと、原監督が血も涙もない冷血漢のように思われるかもしれない。が、実は、原監督の〝非常采配〟を高く評価する声も球界にはある。某パ球団幹部がこう言っているのだ。

 「原監督はいいお手本を示してくれました。当時はどの球団、どの監督もFA選手の使い方に及び腰になる傾向があった。複数年契約で高い給料は下げられないし、少々の不振でも二軍落ちさせられない。一軍で顔色をうかがいながら、腫れ物に触るように使っていくしかない大物が少なくなかったのです。

 そういう〝不良債権〟と化しそうな大物に危機感を抱かせ、発奮させるには、原監督が村田にやったように、ファンの前で赤っ恥をかかせるしない。原監督はそれができたからこそ、巨人で一番勝てる監督になれたのだと思います」

 そうした原監督の怒りはときに、コーチ陣にも及んでいる。試合中、選手たちの前で怒鳴りつけられたり、物を投げつけられたり。あまりの激しい叱責に、「しばらく立ち直れませんでした」と嘆くコーチもいたほどだ。

 もっとも、原監督が育った昭和のプロ球界は、体罰や暴力沙汰など日常茶飯事。「パワハラ」という言葉も概念もなく、口も出せば手も足も出す監督が珍しくなかった。

 その代表的な存在はやはり「闘将」と呼ばれた星野仙一だろうが、今年2月11日に他界した「知将」野村克也も例外ではない。ヤクルト監督時代は、傍で聞いていても身が竦むような罵声や怒声を選手やコーチに浴びせていたものである。

 そうした知将や闘将が鬼籍に入ったいま、原辰徳は良くも悪くも〝昭和の怖さ〟を残す12球団随一の監督かもしれない。現役時代に「若大将」と呼ばれたのも、いまやはるか昔に思える。

 なお、1067勝目を挙げた試合後、坂本勇人(31)とともに原監督に記念のプリザーブドを手渡したのは、かつて散々しごき抜かれた亀井だった。チーム最年長の彼は、原監督の怖さが最も身に染みている世代だろう。

  
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