2022年8月8日(月)

WEDGE REPORT

2020年10月3日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

タイ社会の改革に

 通信という全く新しい分野で成功した新興企業家である彼は自らが蓄えた財産を引っ提げて政治に進出し、タイ社会の改革に乗り出した。

 2001年から06年までのタクシン政権時代を、おそらくABCM複合体は危機感を抱きながら過ごしたはずだ。かくて2006年、ABCM複合体はクーデターによってタクシン政権を打倒し、ABCM複合体にとって親和的存在である民主党主体の連立政権を打ち立てる一方、憲法裁判所、国家汚職防止取締委員会、さらには中央選挙管理委員会などの新たな仕組みを作りタクシン支持勢力の封じ込め動きはした。

 だが総選挙で彼らを挫くことはできなかった。この状況は昨年3月の民政移管のための総選挙でも同じであるばかりか、都市の若者を中心にABCM複合体を「是」としない新興勢力の新未来党を産み出してしまった。

 今年に入ってプラユット政権はゴリ押し的法解釈によって、新未来党を解党処分してしまった。だが、だからといって新未来党を押し上げた若者の意志が消え去ったわけではない。

 はたして「タクシン」をタクシン元首相の、あるいは新未来党を率いた「タナトーン」をタナトーン・ジュンルンアンキットの、共に個人の名前としてではなく、むしろタイの現状に対する《不満の記号》と見なすなら、《不満の記号》が今回の王室改革の動きに繋がっていると考えられるべきではないか。

 9月19日、政府当局による様々な規制にもかかわらず、主催者である「正義とデモの聯合戦線」発表で10万人に上る人々が集まり、大学キャンパスとは通り一本隔てただけの王宮前広場に向けて移動し、雨の中で君主制改革、憲法改正、プラユット首相退陣要求の声を上げた。

 シンガポールの『聯合早報』(9月20日付け)は、「会場にはバンコクの若者だけではなく、地方出身者も多く認められた」「地方からのタクシン支持派も少なくなかった」と報じている。

 実は14年前の2006年の同じ9月19日、タクシン政権は国軍のクーデターによって打倒されたのだ。以来、タクシン元首相の国外生活が続く。いわば9月19日は、タクシン支持派にとっては屈辱の一日でもあるわけだ。

 政府当局の厳しい脅しにも似た発言や厳しい規制にも拘わらず、主催者側は次回の集会を10月14日に設定し、全国民にデモを呼び掛けている。1973年10月6日、後に「10月14日事件(シップシー・トゥラー)」とも「血の日曜日事件」とも呼ばれる事件が発生し、デモ隊と武装警官との激しい衝突のなかで多くの若者の命が奪われた。

 かくして強権を揮った長期軍事独裁政権は崩壊し、「タイ式民主主義の時代」は始まったのである。

 10月14日まで残された半月ほどの間、プラユット政権はどのような対応をみせるのか。王室改革の声が国民の間で高まりをみせるのか。「血の日曜日事件」の再現といった事態が起こるのか。目下のところでは、確たる見通しは立てられそうにない。

 だが、いま確信をもって次のように言っておきたい。

 タイの動揺が当然のように日本と東南アジアとの関係に大きな影響を与えることを考えるなら、日本は「国王を元首とする民主主義政体」の行く末を注視し続けなければならない。これからもタイが日本にとって「微笑みの国」であり続けることを望むならば。

  
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