使えない上司・使えない部下

2021年2月10日

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(emma/gettyimages)

 今回は、経営コンサルティング会社・アイコンテンツ代表取締役社長の吉野太佳子さんに取材を試みた。

 吉野さんは京都芸術短期大学(現:京都芸術大学)を卒業後、大手不動産会社、商社系ブランディング会社を経て入社した大手製造企業のグループのIT会社で経営やマネジメントに目覚める。「女性は、男性を支える役割」であった前職までと異なり、大手製造企業では男性と同じように、仕事に対して期待と責任を与えられた。

 この驚きと感謝の思いをきっかけにマネジメントや経営に魅力を感じるようになる。会社員をしながらシングルマザーとして2人の子どもを育てる一方、勉強を7年間続け、難関と言われる中小企業診断士の試験に合格した。

 経営コンサルタントとして2015年に独立し、2年後に株式会社アイコンテンツを設立。中小企業を中心にIT・デジタルの戦略支援などを行う一方で、国をはじめとする公的機関の中小企業経営相談も担当する。2018年には明治大学経営学研究科経営学専攻を修了(MBA)し、明治大学経営学部特別講師、ハリウッド大学院大学講師を務める。

 吉野さんにとっての「使えない上司・使えない部下」とは…。

「全員経営」の影響を受け、私も経営に関わってみたい

 現在の会社を創業したのは、勤めていた大手製造企業での影響がとても大きかったと思います。

 そこは大手製造企業のグループであるIT会社で、従業員が数百人いました。2003年に中途採用により入社したのですが、初めて「経営」といった言葉に触れました。その会社や親会社の大手製造企業では役員や管理職を始めとする従業員が「全員経営」という言葉を使い実践していました。性別や役職、在籍期間、配属部署や職種に関係なく、全員が経営に関わる意識を持ち、仕事に取り組んでいました。

 それまで勤務してきた会社では、経営を意識することなく、与えられた仕事をこなす、いずれも一般職(非管理職)であり、自分の役割は男性上司の補佐をするものと考えていましたし、実際にそうした役割が多かったのです。

 「全員経営」の影響を受け、経営への意識が芽生え、経営に関わってみたいと思うようになりました。中小企業を経営していた父親の影響もあるのかもしれません。小学生の頃、父は自宅で金融機関とのやり取りを話す機会がありました。その内容は今も覚えています。

 会社に入ると同時に、いわゆる逆出向のようなスタイルで親会社に勤務するようになりました。私のこれ以前の大手企業の勤務経験や前職でのIT、デジタルに関する仕事の経験から、情報化担当として全社IT推進プロジェクトに携わりました。

 この職場では、女性であることで不愉快な思いをしたり、ハンディを感じたのは1度もありません。むしろ、会社全体で女性社員にとても配慮する風土がありました。それ以前に勤務した会社ではなかったことです。

 例えば、プリンターの用紙がなくなった時に倉庫に用紙を取りに行こうとした時です。男性の部長が「それは私の仕事ですから、あなたにさせるわけにいかない」と話し、本当にびっくりしたことを今も記憶しています。

 そして所属したチームの上司(課長、男性)に初めてお会いした時、ずいぶんと期待されていることを実感しました。「期待される」ことは社会人になって初めての経験でしたから、とても印象に残っています。なぜ、こんなに期待をしてくれるんだろうと不思議に思ったほどです。

 上司は日頃から「いろんなタイプの人がいるから、組織は強くなる」と話しており、人材の「適材適所」という言葉を使っていました。こんな頃から、経営やマネジメントのことをもっと知りたいと強く思うようになったのです。

 そして在籍中から、中小企業診断士の資格をとるために勉強を開始しました。両親の協力の下、2人の子育てをしながらの勉強でした。平日は朝5時に起床して子どものお弁当を作り、仕事をする。そして帰宅後の勉強でした。最初は時間のやりくりが大変で、合格するまでに7年もかかりました。これは言い訳ですが…(苦笑)。当時は、離婚をしてひとりで2人の子を養っていかなければなりません。「経営に関心を持ち、深く勉強をしてみたかった」のも事実ですが、資格をとって評価を受け、給与を増やしたい思いがあったことも事実です。

 その後、子どもが成人し、縁あって現在の主人と再婚しました。主人はそれまで役員をしていた会社を離れ、新たにデジタル人材の育成をする会社をスタートさせました。その行動に刺激を受け、私も10年少々お世話になった会社を退職し、独立しました。子育てが一段落したことで、最悪の結果になったとしても、なんとか生きていけると考えました。

考え方、仕事の姿勢を管理する力を身につけることは大切

 会社員の頃を振り返ってみると、上司にいかに信頼してもらえるようにすべきかを考え、積極的にコミュニケーションを取るようにしていたと思います。例えば、まめに報告をしていました。注意をしていたのは、感情を入れないようにして、事実を伝えることです。感情の波を表にあらわさないようにしていたのです。

 上司は、精神状態や気分がいつも安定している人を「信頼できる部下」と評価するんじゃないかなと感じていたのです。私が、感情の波がない人を信頼するものですから…。信頼を獲得したいと思いが強かったのです。信頼して欲しい人に信頼して欲しいがゆえに、そのような行動をとっていました。

 20代の頃は、こんな思いにはなっていませんでした。離婚をしてからではないでしょうか。この頃から、仕事への姿勢や考えが大きく変わってきたのです。当時は、女性の中には仕事や会社が嫌になり、退職する人がいました。私も20代の頃はそうだったのです。出産を機に退職し、専業主婦になりました。

 男性の多くは、家族を支える柱として基本的には現在の会社に残るか、転職しても新たな職場で働き続けますね。離婚し、子育てをしながら社会に出て仕事をするようになった時、親としての責任をまっとうするためにどうすべきかと考えました。無意識のうちに仕事への姿勢や考え方が変わっていったのだろうと思います。

 当時も今も一部では「女性は感情の波があるから、安心して仕事を任せることができない」と言われます。私自身、波があるのは自覚していました。女性は特に考え方、仕事の姿勢を管理する力を身につけることは大切だと思います。

 20年程前に、感情の波をコントロールする2つの仕組みを作りました。バイオリズム(感情の起伏)をノートに書いて記録するのです。毎日、今日の感情の波はどうだったのかなと振り返り、例えば「晴れのち、くもり」と天気予報のように書き込みます。晴れは、気分がよい時を、曇りはやや沈んだ時を意味します。1か月間を振り返ってみると、晴れが2日しかない月もありました。このような日記をつけると心がどういう状態なのか、わかってくるようになります。

 もう1つの仕組みは、感情日記。その日の気持ちを書くのです。「こういうことがあった」という事実ではなく、「何を感じたのか」だけを書きます。そうすると自分が今日どういう状態なのかが、見えてくるのです。

 これら2つの仕組みは、独自で考え出したものです。読み返してみると、恥ずかしい内容ばかり。感情日記には「人生は山あり、谷あり」「不安、不安、不安、不安、不安、不安」…。ただひたすら、自分を客観視するために20年続けています。周りがわかってくれないと思う時こそ、自分と距離を置く。読み返すと、「あー、こんな人ではわかってもらえないな」と思えるわけです…(苦笑)。

 自己採点をすると、これまでの人生は70点ぐらいでしょうか。振り返ってみると、性格はしつこい…。良くも悪くもしつこい(笑)。あきらめが悪い。あらゆることにしつこいわけではないのですが。

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