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2021年3月2日

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稲村 肇 (いなむら・はじめ)

東北大学名誉教授

宮城県国土利用計画審議会会長、東北港湾ビジョン策定委員会委員長、福島県港湾審議会会長、宮城県復興整備協議会委員、元土木学会副会長などを歴任。

石巻市街地から自動車で約1時間の場所にある石巻市十八成浜 (MASATAKA NAMAZU)

 東日本大震災の後、東北4県では膨大な数にのぼる高台などへの「防災集団移転事業」が進められ、2011年3月から10年経過した本年度でほぼ終了する。

 しかし、さまざまな理由で事業は大幅に遅れ、被災当初は集団移転を希望した人々も故郷を離れて大都市や遠隔の別の町で暮らさざるを得ないということが多発した。筆者は震災以降、各種の行政委員と研究者の両方の立場で復興にかかわり、宮城県三陸沿岸の気仙沼市、南三陸町、石巻市、女川町の調査を行ってきた。

 それらの立場から、調査を通じて浮かび上がってきた問題の検討と、全国で起こりうる将来の大災害に対する対策を提案したい。

広すぎた移転促進地域と
集約化の失敗

 11年8月、政府は「復興の基本方針」を打ち出し、そこでは津波被災住宅の高台への移転が原則とされた。市町村は津波水深が数㌢の土地も含め、被災地域の約3分の1を「災害危険区域」に指定し、大部分を住宅の建設ができない「移転促進区域」と指定した。高台移転の条件となる移転元の移転促進区域は1万㌶を超え、それぞれの区域内住民全員の合意が必要となった。

 「災害危険区域」はすでに全国に数十万カ所あるが、居住制限はわずかな面積で、北海道南西沖地震で被災した奥尻島でもわずか9㌶程度だ。伊勢湾台風の高潮被害を受けた名古屋市では7000㌶以上の「災害危険区域」が指定されたが、木造家屋の禁止地区はあるものの居住制限はない。一方、東日本大震災では、三陸4市町だけでも2万世帯程度が移転対象となり、行政は255カ所の宅地造成または住宅建設の責任を負った。 

 事業が遅れた理由は、広大な移転促進区域により移転対象の世帯数が多く、住民の希望に従い5~20戸といった小規模移転も多くなり、全体の事業地区数が増大したことだ。宮城県では仙台平野南部の11市町は比較的大規模な移転用地が内陸部に確保できて、宅地造成・公営住宅建設は順調に進んだ。

 一方、気仙沼市などのリアス式海岸地域は平地が少なく急峻であるため、大規模な用地が確保できず、多数の用地買収に時間がかかった。

 三陸沿岸は沿岸漁業資源が豊富であるため、定置網漁業や養殖漁業も非常に盛んだ。宮城県では141もの漁港が被災したため、宮城県知事は復興事業の一つとして漁港の集約化を目指した。しかし、沿岸漁業地帯の専業漁民の多くは裕福で、海面の利用をめぐる争いも多く、地元漁協の多くは集約化に反対した。

 その一方で、同年10月、農林水産省は1兆円を超える補正予算で、いち早く漁船数隻の小漁港を含め全ての漁港を個別に復興すると宣言し、実行に移した。これが集約化と逆方向の、漁港ごとの小規模移転を後押しすることになったと思われる。

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