しかし、孔子学院はインテリジェンス組織として特に役立つほどのものではない。留学生に対しては、中国大使館が、留学生の組織を通じて見張っているし、外交官、ジャーナリスト、公務員、企業、学術関係者などはインテリジェンスの供給源として利用しようと思えばいつでも利用できるだろう。
孔子学院が出来てからこれまで特段問題を起こしていないだけではなく、孔子学院はつねに外部からの監視にさらされてきている、と論じています。
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最近、米国務省が米国内にある孔子学院のスタッフたちへのビザ発給を再検討するとの方針を打ち出したのをきっかけに、孔子学院の性格をめぐる論議が活発化し、批判論、擁護論の両者が対立しています。
上記マティスの論評は、孔子学院に対する、批判論、擁護論の中では、直接的表現を避けつつも、擁護論に属するものと見ることが出来ます。インテリジェンスの収集など、ほかの組織を使えばよく、孔子学院など使う必要はない、と言いたいようです。実態は、そうであるかもしれないし、そうでないかもしれません。
孔子学院のあり方をめぐって米国で議論が行われていることを契機にして、日本でも同様の議論が行われてしかるべきでしょう。孔子学院の問題については、それがなぜ、既存の大学の施設を使うのか、どの程度の資金が個々の大学に提供されているのか、どのような活動内容が見返りに許容されているのか、などを大学当局が検証し直す必要があるでしょう。そのうえで、政府の措置が必要になるかもしれません。
マティスは、孔子学院は、ゲーテ・インスティテュート、ブリティッシュ・カウンシル、アリアンス・フランセーズなどと異なり、「政治組織であるが、大学のなかでは非政治的活動を行う」とも述べていますが、いささか意味不明です。いずれにせよ、孔子学院には目に見えないヒモがついていると見るのが、常識的でしょう。
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