筆者は2009年、高校を中退した若者たちの貧困の実態、とりわけ日本社会の低層に沈んでいる若者たちの嘆きや悲しみ、助けを求める声を、彼らに代わって社会に伝えるために、『ドキュメント高校中退』(ちくま新書)を書いた。
それから3年たったが、全国の生活保護の担当者の間ではまだ、「貧困の連鎖の原因のひとつに、高校中退の問題がある」という指摘があり、いまだに「中退」が若者の貧困にとって大きな要因の一つになっている事態は変わらない。
生活保護世帯や貧困層の生徒で、せっかく高校に進学できても、中退するケースは多い。関西のある市のケースワーカーも「あまりにあっさりと中退してしまうケースがある。中退すればその分、就職もしにくくなるにもかかわらず、誰にも相談せず自分で判断してしまう傾向がある」と指摘する。(産経新聞2012.9.6)
最近、筆者が出会った高校を中退した若者たちを紹介しながら、なぜ、彼らが「あっさり」と中退してしまうのか、社会の周縁で生きなければならないのか、それは彼ら自身に責任を求められることなのか、そして貧困層の若者たちへの支援の在り方も考えてみたい。それは、現代日本の「貧困とは何か」という問いに対する回答ともなろう。
父親のDVでシェルターへ
勉強どころではなく2ケタの割り算ができない
美優(仮名)21歳の場合
美優は、幼児期から父の止まることのない暴力(ドメスティック・バイオレンス)の中で暮らした。小学校1年生の時に、母親と妹と3人でシェルターに逃げた。この間、親族などからの支えもなく、暮らしは厳しいものだった。
母親は職を転々としていたが、結局水商売に落ち着いた。それから、いろいろな男たちがやってきた。中には一緒に暮らした男もいた。男の金で暮らしていた時期もあったようだ。
暮らしは苦しかった。小さなアパートで家具もない時期もあった。だから、勉強どころではなかった。算数は今でも2ケタの割り算ができない。中学も行ったり、休んだりだった。
地域で最底辺の高校に入ったが、1年生で中退した。授業にも出なかったから、登校しても授業にはついていけなかったし、教師ともよく衝突した。教師から言われたことは、「化粧を落とさないなら学校には来るな」ということだ。
その後、妹も高校を中退したが、母親も今の義理の父親もみんな高校中退だ。
仕事はコンビニやスーパーのレジ打ちなどをしたが、計算の間違いなどで長続きしなかった。今はスナックで働いている。夜だけだから、給料は10万少しにしかならない。「昼間も働かなくっちゃ」。