子ども・家庭・学校 貧困連鎖社会

2012年10月12日

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 筆者が行った聞き取りの中でも、「学校の制服、体操服など必要な衣料を購入できない」「修学旅行や遠足に行けない」「通学はどれほど時間がかかっても自転車で通うしかない」「電車やバスに乗る(移動する)習慣がない」「仕事を失ったら、住居がない」というような貧困層の若者たちは少なくなかった。

 貧困層の賃貸住居率の高さも目立った。その他、電気、ガス、水道などのライフラインを止められた経験、社会保険の滞納が続き、医療を受けられない経験など。

 人は、通常、人生の様々な場面で選択をしていくはずだが、貧困層はAを選ぶかBを選ぶかという選択ができないのである。その選択の場や機会を失うことで、とりわけ子どもや若者たちにとって様々な経験や出会いの可能性と場を失うことになる。そのような機会の不平等が積み重なって結果の不平等につながっていく。

 場や機会を得られないことが続くと子どもや若者たちの意欲すら失われていくのである。人間の意欲は市場原理、競争社会の原動力になっているはずだ。先にあげた4人の若者はいずれも、学ぶ意欲、働く意欲、豊かになりたいという意欲を長い貧困の中で徐々に失っている。

 このように、貧困とは人間が生きるために必要な財やサービスを受けられないことだが、じゃあ、今まで紹介した4人の若者たちのような人々に現金給付をすれば問題はすべて解決するということになるだろうか。

 社会から完全にドロップアウトしているような貧困(状態)もある。(岩田正美『社会的排除』

 4人の若者たちのように社会的サービスにアクセスできないことを「社会的排除」という概念で表現することが可能だ。この概念はフランスの社会学研究の中で提唱されたが、EU(欧州委員会)は次のような定義をし、社会的排除との戦いを各国に要求している。

 社会的排除とは、所得(収入・消費)の多寡を示す貧困概念と異なり、社会統合やアイデンティティを形成する権利から個人が排除されていくメカニズム、社会的交流から排除されていくメカニズム、居住、教育、保健、医療、その他の社会的サービスへのアクセスが困難になることを意味する。

 近年、欧州では、「社会的排除」という視点から貧困問題は語られるようになってきた。「お金があるかどうか」だけが問題なのではない。その人が社会の一員として扱われているかどうかを問題にする概念である。

 「金がない」ということは、「電車代が払えない」「携帯電話の通話料が払えない」「ご祝儀や香典が払えない」「洋服や化粧品を購入できなくなり、人前に出られなくなる」ということなのである。「金がない」ために、友人関係も親族関係も徐々に失っていく。そして仕事を探すこともできず、将来の見通しを持てなくなり、自尊感情や生きる意欲を失っていく。多くの公的サービスは窓口まで相談に来る人を対象にしているから、公的サービスも受けられない。

 「金がない」以外にも、排除されるリスク要因はある。疾病や障害を抱えている、外国にルーツがある、虐待や犯罪の被害者である、ことで人は孤立化し、社会から排除されていく。

 社会的排除は、私的なものだけでなく、公的なものも含まれる。学校に行けなくなる、市役所の窓口に申請に行きたくても仕事を休めない、どのようなサービスが利用できるか誰からも教えてもらえない。皮肉なことに、最も公的サービスを必要している人ほど、公的サービスを受けることが難しく、公的サービスからも排除されるのである。

 では上記の高校を中退した4人の若者たちはどのようなメカニズムで社会的に排除を受けるか。

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