2024年4月16日(火)

渡辺将人の「アメリカを読む」

2012年10月17日

 夏の全国党大会でもアイオワ州との縁は深い。2008年には代議員団の特別ゲストとして迎えてもらい、アイオワ州の面々と共にバスで共和党大会入りをした。2012年大会について、アイオワ州共和党幹部から「党内の異変」が伝えられたのはロムニー陣営がライアンを副大統領候補に決めて、攻勢を強めようとしていた2012年の8月上旬だった。「今年の共和党大会には行けない。ポール派が主流派の共和党員を代議員から追い出してしまった」という連絡が同州の共和党幹部から筆者に入った。

 予備選以降、共和党で指名を獲得する見込みのないポール候補を応援する支持者には、2つの道が残された。1つは共和党を棄ててポールを第三候補として担ぐこと。もう1つは共和党を時間をかけて内部から改革することである。前者を選ばなかったのはポール派の「反オバマ」感情は決して小さくないからだ。ポールが出れば確実にオバマを利す。また、第三候補としてはニューメキシコ州知事を務めたリバタリアンのギャリー・ジョンソンが出馬を検討していた。「第三候補」の役目はジョンソンに任せ、ポール派は今回、後者を選択した。

 その作戦は2つの層からなる。「作戦1」は共和党大会にできるだけ多くのポール支持者を送り込むこと、「作戦2」はロンの息子のランド・ポール連邦上院議員を「過激な父とは違う、ものわかりのいい穏健派」として売り込み、共和党内部で一定の地位を築かせることだった。

アイオワ党員集会から全国に広がった
代議員獲得作戦

 「作戦1」は2012年1月3日のアイオワ党員集会から始まっていた。アイオワ党員集会で州内に設置した支部やボランティアオフィスの多さはポール陣営が群を抜いていた。ロムニー陣営はアイオワでは農村部保守派の反発を恐れて、テレビ広告やラジオ広告など「空中戦」中心の選挙戦でギングリッチ叩きに執心していた。ポール陣営は党員集会直前に「コーカス・トレーニング」と称した訓練を行っていた。党員集会への参加の仕方を教えるのは表の理由で、裏の目的は、共和党の地区支部で委員に選ばれて共和党内に浸透するための作戦会議だった。

 筆者が州西部寄りのアイオワシティとコーラルビルの双子の町の取材で会ったトラビス・ヘフリンは、2008年にオバマに投票したという「元オバマ運動組」だったが、彼もほかのポール支持者の若者と共に支部スタッフのランディ・シャノンの指導で「コーカス・トレーニング」に励んでいた。共和党のアイオワ党員集会は、(1)候補者を応援する支持者の演説、(2)ストローポール(無記名投票)と進む。これが終了した段階で大多数の有権者は帰宅し、メディアも会場を去るのだが、実はこの後共和党の郡委員や州党大会に出る代議員を選出する話し合いなど重要な「議事」が行われている。

 筆者が密着したコーラルビルで行われた党員集会でも、投票終了後、小テーブルごとにグループが組まれた。ここまで残る人は相当政治に関心がある人に限られる。現委員が司会を務めて州代議員になりたい人物にスピーチをしてもらい、立候補者のスピーチで誰が一番よいかを参加者の多数決で決める。ポール派はここに多数の支持者を「ポール派とばれないように」各テーブルに忍び込ませ、お互い他人のふりで演技をして、誰か1人だけを立候補させ、残りの皆で示し合わせて支持するという作戦を実行した。


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