そして2012年はロン・ポールを支持しているという。また、2008年党員集会でポール支持が首位となり、2012年も大半がポール支持者というジェファーソン郡からは共和党の熱心な支持者だったが、ポール派に転向したエド・ケレニイが選ばれていた。
ジョンソン郡からは20代前半の若きリバタリアン女性のアニー・デグルートが選ばれていて驚いた。地元の熱心な年配層のポール支持者が手塩にかけて育てている、若手リバタリアンの活動家だ。
筆者はデグルートとは、デモインで開催された共和党予備選ディベート、エイムズでの模擬投票(デグルートはポール陣営本部でVIP誘導担当スタッフだった)、共和党レセプションなど節々のイベントで会ってきたが、カレッジ・リパブリカン的な活動家であり、とても代議員に見合う地元の信頼があるとは思えなかった。しかし、ポール陣営のアイオワ全州陣営若年層スタッフとして熱心に働いたことが評価され、登用されていた。
他にはハイエクを学びポールの経済論に心酔するようになったアイオワ大卒のジェフ・シップリーが、補欠員として登録されていた。「エブラハム・リンカンは、ユニオンを維持するために、憲法違反をおかして南北戦争に勝利した」という「リンカン批判」言説を振りまいては、地元の共和党員に煙たがられている存在でもある。
こうした個性的な面々が、共和党の全国党大会に、正規の共和党代議員として参加している姿がいかに「不自然」かは、容易に想像できよう。ロムニー陣営は、共和党を内側からかき乱すポール派を押さえ込み、メディアの注意を向けないようにさせるために、無駄なエネルギーを割かれることになった。
票が割れたロムニーの指名獲得
党大会に乗り込んだポール支持者は、共和党大会の前日の日曜日に、反ロムニー集会を開催した。正規の共和党代議員になったポール支持者は、第1に点呼投票(ロールコール)で、ロムニーではなくポールに票を入れること、そして第2に会場内でメディア向けにデモ行進を行うことを計画していた。この動きを察知したロムニー陣営は、通常は指名受諾演説の前日(3日目)に行われる点呼投票を初日に前倒しして、短時間で済ますという荒技に打って出た。そうすることで、ポール支持者の反ロムニー票をメディアに大きく報道させないようにするのが狙いだった。
また、接近していたハリケーン・アイザックが直撃して、党大会が継続できなくなるリスクも考慮され、ロムニー指名だけは早々に済ませておきたかった。指名されれば、候補者用の資金がすみやかに使えるようになる。メディア報道の盛り上がりは、どのみち最終日のロムニーの指名受諾演説に集中する。初日に早々に「ポール派の反乱劇」を済ませて「ガス抜き」を終えておけば、党大会を取材しているメディアの記憶には最終日のロムニーの演説しか残らない。一般有権者には「騒ぎ」は覆い隠しておけばいい。
こうしたロムニー陣営の思惑のもと、初日がハリケーンで中止(短縮で4日間の日程を3日に)というハプニングはあったものの、各州の点呼投票は初日(予定上の2日目)に行われた。