結果として、アイオワ州は28票中、22票をポールに入れた。約8割がポールを支持したことになる。ミネソタ州は44票中、33票がポール票だった。やはりポール派を多く抱えていたメイン州の代議員団は、点呼投票でロムニーの票しかアナウンスされないことに抗議して退席した。ロムニーが無事指名を獲得したものの、ポールは189票を得て点呼投票は終了した。
共和党との融和路線「担当」だったランド・ポール
ロムニー陣営にとっては、全国党大会までもつれこんだ「内部分裂」は小さな痛手だった。火消し策の一環で、ランド・ポール上院議員を党大会の壇上にあげて、融和姿勢を示した。ランドは父や自分の支持者を「ポールボット」「陰謀論者」と揶揄して悪魔化する共和党とロムニーを批判することもできた。
しかし、ケーブルテレビで全米に生放送されている現場で、共和党とロムニーを批判してロムニー支援の「結束」に水を差せば、共和党での政治生命は終わる。ポール支持者もそれを望んでいなかった。ランドには共和党内で延命してもらわねばならないからだ。「役割分担」を認識していたランドは、連邦準備制度や孤立主義外交には触れず、共和党やロムニー陣営と辛うじて意見が一致している財政健全化と減税路線などの問題に絞って「小さな政府」を訴えた。
しかし、ランドのロムニー支持が「茶番」であることは、色とりどりの「ポール革命(レボリューション)」のコスチュームに身を纏った若者が、サインを掲げてタンパの党大会のメインフロア(会場外ではない)を練り歩く姿が示していた。会場の隅々ではロムニー支持者とポール派代議員の激しい罵り合いも頻発した。2008年の共和党大会にも現場で参加した筆者の経験からも、こうした光景が会場の外の路上ではなく、「党の結束」を内外にアピールする大会のフロアで確認されるのは稀である。
ところで、今回の共和党大会で一番「妙な投票」をしたのは、ロン・ポールの地元州で、ブッシュ家のお膝元でもあるテキサス州だった。「多様(ダイバーシティ)賞」なるものを受賞した同州は、ロムニー、ポール、サントラム、ハンツマン、ミシェル・バックマン、バディ・ローマーなど 6人の違う候補者に投票が分散し、誰も支持しないという票もあった。いずれにせよ、予備選でロムニーを悩ませた「反ロムニー」という内部に抱えた敵の残滓を感じさせた指名儀式となった。
党大会終了の翌朝、タンパ空港のレストランで側近2名と朝食を食べている旧知のブランスタッド知事が、たまたま筆者の隣席になった。再会で会話は弾んだが、ロムニー陣営と全国メディアの前で、自分の州のポール支持者たちに恥をかかされた共和党知事の顔に、「やっと党大会を抜け出せる」という開放感が滲んでいたのは言うまでもない。
大統領選挙ディベートの「攻守」を左右する
共和党のジレンマ
外交政策や金融政策でポールと相容れないロムニー陣営としては、地上戦の強力なマシーンである「党内抵抗勢力」のエネルギーを11月に投票所に向かわせたい。ロムニーとライアンが外交政策で、「オバマ政権の失点叩き」以上に、これといって踏み込んだ外交路線を打ち出すアピールができないのは、ロムニーとライアンの両名に外交経験がない事実以上に、外交を本気で突き詰めれば、孤立主義派・ネオコン・現実主義派の内部分裂を呼び覚ますジレンマと背中合わせだからだ。その意味で、ポール派も含む「オール共和党」で一致できる「経済争点」を扱った第1回大統領選挙ディベートは、ロムニーにとっては是非とも勝利しておかねばならないテーマだった。CNNの討論後の世論調査では、ロムニー勝利との回答が67%で、オバマ勝利と回答した25%を大きく引き離した。
世論調査で「ロムニー勝利」と回答した数に、相当程度のインデペンデント層が入っており、オバマに対する有権者の不満が示されたことは明らかだが、ポール派やリバタリアンも「ロムニー勝利」と回答していることは言うまでもない。経済争点では「オール共和党」で「反大きな政府」としてロムニーを応援できるからだ。しかし、外交・安保では、そう簡単にいくだろうか。さらに両者の真価が問われるのは3回目の「外交・安保争点」のディベートであり、外交が1回目のテーマだったらロムニー陣営は、もしかしたら延命していなかったかもしれない。3回のディベートのテーマ順序が、選挙戦に微妙な影響を与える好例である。ロムニー陣営は、ラストスパートは、内政、外交の両面でこれまで以上に「反オバマ」のレトリックに依存するしかない。
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