5月16日、景勝地で知られる杭州西湖の湖畔にキャンパスを構える湖畔大学で、大学を表象化したかのような巨大自然石に大きく刻まれ、鮮やかに黄金に色付けされ光り輝いていた「湖畔大学」の4文字が削り取られた。
同大学は2015年1月に聯想集団の柳伝志、復星集団の郭広昌、巨人互動集団の玉史柱など中国ITビジネスを牽引する9人の企業家によって創立された。阿里巴巴(アリババ)集団創業者である馬雲(ジャック・マー)が校長(学長)を務め、世界の大学のトップに君臨する米ハーバード大学を凌ぐほどの難関との評価も聞かれるほどだ。
得意絶頂期の馬雲が筆を揮った「湖畔大学」の4文字が表面から消え失せ、元の姿に戻ってしまった自然石は、昨年末から政治に翻弄されるがままの馬雲の姿を象徴しているようにも思える。
近年の馬雲は習近平政権が強力に推進するIT政策に沿ってネット・ビジネスを牽引する一方、華人企業家の筆頭格でもあるタイのタニン・チョウラワノン(謝国民)やマレーシアのロバート・クオック(郭鶴年)と提携し、東南アジアにおけるネット・ビジネスの展開に積極的に取り組んできた。この2人が鄧小平以来の共産党中枢との太いパイプをテコに中国ビジネスを大々的に展開してきたことは周知のこと。ことに習近平政権登場以来、彼らと北京との緊密度は顕著である。
たとえばタニンの場合、アピシット政権(2008~11年)以来の歴代タイ政権が中国と連携し推し進めてきたタイ国内の高速鉄道・輸送インフラ建設――これを中国の側から見るなら東南アジアにおける一帯一路の根幹――に、自らが率いるCP(正大)集団の将来を賭け、同時に悪戦苦闘の企業家人生の総仕上げを目指すとまで公言しているほどだ。
こう見てくると馬雲を一帯一路の水先案内人と見なすこともできるし、それだけに習近平政権からするなら東南アジア進出における忠実な先兵だっに違いない。
そんな馬雲の動静が昨年10月後半にパタリと途絶え、程なくした11月には、アリババ傘下螞蟻(アント)集団はIPO(新規公開株)取引の中止を余儀なくされている。IPO市場、これまでの最高額が見込まれていたにもかかわらず、である。そのうえ規制当局がアリババに対し独禁法違反容疑で捜査に着手したというのだから、やはり異常事態だろう。
馬雲の動静について様々な報道が乱れ飛んだ末の今年1月20日、馬雲は久々に公の場に姿を現し、自らが創設した「馬雲公益基金会」による「郷村教師奨」のオンライン授与式に参加している。その発言に注目が集まったが、彼は「今後は全身全霊を教育事業に捧げる」と挨拶するに止め、90日間ほどの動静不明については言及を避けた。
いまや世界的に知られる企業家であるが、前身は片田舎の無名の英語教師に過ぎない。ならば「今後は全身全霊を教育事業に捧げる」との発言を原点回帰と見てもよさそうだ。だが余りにも唐突な内容だけに、野望実現を目前にしてITビジネスの世界から撤退せざるをえない立場に追い込まれた苦悩と無念さは十分に感じられた。