2024年4月26日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2021年6月3日

『風立ちぬ』と『この世界の片隅に』

 藤津さんは、最後の第10章でロボット・アニメの流れから離れ、アジア・太平洋戦争を「歴史的/個人体験」ゾーン描いた宮崎駿監督の『風立ちぬ』(2013年)と片淵須直監督の『この世界の片隅に』(16年)の2作品を取り上げている。

 「『風立ちぬ』は零戦を設計した堀越二郎の半生をフィクションにしたものですが、克明な戦闘機作りの作品でありながら戦争自体を描いていない、と批判もされましたね」

 「テーマが“近代の夢の破産”なので、映画としてはあのまま成立します。けれど、無自覚・無責任な国民として時代に流された、という側面はやはり批判されてもやむを得ません」

 「『この世界~』の方は、同じように無自覚に時代に流された女性主人公ですが、ラストの玉音放送を聞く場面で、がっかりしつつ海外から食物を得てきた状況では負けても仕方ないかと自分に言い聞かせる。すると背景に、太極旗を揚げる民家が映り、作品の主人公ではなく現代の観客だけが、日本のアジア侵略という戦争の大枠を理解できる構成になっている?」

 「そうです。戦争当時の人間を現代の価値観で描いていいのか、という難問をうまくクリアした代表的な作品になったと思います」

 『風立ちぬ』は軍用機の開発を非常にリアルな描写で追っていて、『この世界~』も戦時中の広島や呉の市街を細部に至るまで丹念に掘り起こすなど、徹底的に事実に即したアニメ映画化だ。

 藤津さんによれば、こうした傾向の作品はアニメーション・ドキュメンタリーと言い、ここ10年ほどの世界的な流行とのこと。

 「さまざまな図鑑が写真ではなく絵を使っているように、絵のほうが実写より対象の本質を描き出せることがあるんですよ」

 「ただ、『風立ちぬ』『この世界~』は2作とも、直球ではなく変化球の作品、と書いてありますね。どういう意味ですか?」

 「前書は一介の技師、後書は家庭婦人です。主人公が戦場にいるわけではない。戦争アニメというからには、最前線に放り込まれた庶民の兵士を描くのが本道だと思うんですね」


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