ベストセラーで読むアメリカ

2021年6月11日

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国立感染研の報告書は宝の山

 本書に登場する主要人物の一人であるカーターという医師は個人的に、集団感染が発生した客船ダイヤモンド・プリンセス号での感染の動きを追っていた。アメリカ本土では多くの専門家がまだ、新型コロナを対岸の火事としかみていなかった時に、カーターは必死に疫学データの収集にあたっていた。中国の現地の情報をネット検索で探すなどしているうち、2月中旬に行き着いたのが日本の国立感染症研究所のウエブサイトだった。そこでアップされていたダイヤモンド・プリンセス号に関する報告書が役に立ったという。

It described not only how many had been infected but their ages, when they had first exhibited symptoms, and the number of people with whom they shared a cabin. It gave the dates they first exhibited symptoms. It revealed that 51 percent of those who tested positive were asymptomatic. Carter took that number with a large grain of salt, as the infection in many was new, and they might still develop symptoms. Still, it was an astonishing number: up to that point there had been no study of asymptomatic spread.

「報告書には、感染者の人数だけでなく、患者の年齢や症状が始まったのがいつか、客室に何人で滞在しているのかも出ていた。報告書では、症状が最初に出た日付がまとめられていた。それによると、検査が陽性だった人の51%が無症状だったことがわかる。カーターはその数字には半信半疑だった。感染して日が浅い患者が多く、これから症状が出るのかもしれない。しかし、驚くべき比率だった。当時はまだ、無症状の感染症の拡大に関する研究などなかったのだから」

 在野の医師のカーターは、国立感染研の報告書について「なぜ、誰も注目しないのか不思議だ。まさに宝の山だ」とも発言している。日本のコロナ対策について、カーターは次のような評価もしている。

Japan was doing something clever with their contact tracing. Perhaps from their close view of the Diamond Princess, public-health authorities had figured out early that superspreaders played a far bigger role in the explosion of COVID-19 than in, say, the spread of flu.

「日本は濃厚接触者の追跡では、賢いやり方をした。おそらく、ダイヤモンド・プリンセス号での知見から、公衆衛生の当局者たちは早い段階で次のことに気づいていた。スーパー・スプレッダー(多くの人に感染を広げる特定の患者)が新型コロナの感染拡大ではかなり大きな役割を果たしており、それは例えば、インフルエンザの感染拡大時に比べてもかなり大きい」

 カーターは自ら情報収集にあたって分析し、他の専門家らと電子メールなどで調査結果を共有し、アメリカでパンデミックにどう備えるかといった議論を続けていく。この非公式の議論の輪が広がり、最終的にはトランプ政権の高官やCDCの担当者ら、国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長も耳を傾けるようになっていく。医師のカーターもCDCについて次のように手厳しい評価を下している。

The CDC had lots of great people, but it was at heart a massive university. “A peacetime institution in a wartime environment,” Carter called it. Its people were good at figuring out precisely what had happened, but by the time they'd done it, the fighting was over.

「CDCは多くの優秀な人材を抱えている。しかし、その本質は巨大な大学だ。カーターはCDCについて『緊急事態なのに平時を前提に運営している組織だ』とも表現する。CDCの研究者たちは、何が起きているかを正確に探り当てる能力は優れているものの、答えが見つかった時には、戦いはもう終わっている」

 もともとは救急救命医療の現場で辣腕をふるってきたカーターが感染症とかかわりを持ったのは、ブッシュ(息子)大統領の発案で、ホワイトハウスにパンデミック対策の特命チームが発足し、そのメンバーの一人として加わったのが発端だった。この特命チームが初めて系統的に、パンデミックへの対応プランを練り上げ、学校閉鎖やソーシャルディスタンスなどの感染症対策を打ち出していた。ブッシュ政権からオバマ政権までは、感染症が拡大した場合の危機対応プランがホワイトハウスにはあった。

 この特命チームにかかわった経験を持ち、感染症対策にも目配りできる人材が実は、トランプ政権にも引き継がれていた。ボサート大統領補佐官(国土安全保障・テロ対策担当)だ。しかし、2018年に辞任に追い込まれ、トランプ政権は感染症への事前の備えを捨ててしまった。

But then, on April 9, 2018, Trump hired John Bolton as his national security adviser, and the next day, Bolton fired Tom Bossert, and demoted or fired everyone on the biological threat team. From that moment on, the Trump White House lived by the tacit rule last observed by the Reagan administration: the only serious threat to the American way of life came from other nation-states. The Bush and Obama administrations' concern with other kinds of threats was banished to the basement.

「しかし、その後、2018年4月9日に、トランプはジョン・ボルトンを国家安全保障担当の補佐官にした。ボルトンはトム・ボサートをクビにしたうえ、ウイルスの脅威に対応するチームのメンバーすべてを降格ないし解雇した。その瞬間から、トランプのホワイトハウスはレーガン政権のときに見られたのと同じ暗黙のルールのもと運営される。アメリカ人の生活にとって唯一の重大な脅威は他の国々からもたらされる、という考えだ。ブッシュやオバマ政権にはあった、それ以外の脅威に対する備えは、お払い箱になった」

 やや、話はそれるが、アメリカの公衆衛生を担当する地方自治体の事務所などもDX(デジタル化)で大きく出遅れている実態も本書は告発している。日本だけが行政のDXで出遅れているわけではないようだ。大学の研究者がCDCの対応の遅さに危機感を持ち、民間企業からの寄付金で運営するBiohub(バイオハブ)という研究センターで、きゅうきょ新型コロナの検査キットを作成したエピソードが本書には出てくる。しかし、検査料を無料にしたにもかかわらず、病院などに、なかなか活用してもらえない現実に直面した。

Many local health offices were so understaffed and under equipped that they had trouble using the test kits. Most were unable to receive the results electronically; they needed the results faxed to them. Some had fax machines so old that they couldn't receive more than six pages at a time. A few didn't even have functioning fax machines, and so the Biohub got into the business of buying and delivering fax machines along with test kits.

「地方自治体の保健センターの多くが人手や備品が足りず、検査キットを使う手間をとれなかった。そもそも、ほとんどの保健センターでは電子メールなどで検査結果を受け取れなかった。検査結果をファクスで受け取る必要があった。とても古いファクス機しかないので、一度に6ページを超える紙を受信できないところもあった。一部だが、ちゃんと動くファクス機を持っていないところもあった。そこで、バイオハブはファクス機を買って配送することも始め、検査キットと一緒に送った」

 まさに、本書はアメリカの感染症対策の不都合な真実を抉り出す。ただ、公平を期すために、ひとつだけ本書の欠陥を指摘する。本書が悪者として描くCDCやカリフォルニア州公衆衛生局長に直接、取材した形跡がみられないのだ。舞台裏で活躍した人々の口から出た批判を克明に記す反面、CDCなど批判されている当事者たちの反論などは一切、書かれていない。本書の筆者は、CDCなどの言い訳を聞いている暇はない、次のパンデミックのリスクに備えて体制を整えるほうが先だ、と言いたいのだろう。

 無名の人々の活躍をドラマチックに描くために、一方的な書き方になっている欠点はたしかにある。それでも、パンデミックへのリスクにどう向き合うべきかという示唆に富むノンフィクションである点に変わりはない。特に、安易に日本版CDCの設立を提唱する政財界の人々には勉強のため一読をおすすめしたい。

  
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