時代小説に転向
日本に活動の拠点を移した佐伯は、撮り貯めた写真を出版するために走り回り、やっと平凡社のカラー新書『闘牛』として世に出たのは、2年後の34歳のときだった。
カメラマンとして妻子の生活を支えるためにどんな仕事でも引き受けて糊口をしのいでいた佐伯に、またもや人生をぐるりと動かす成り行きが生じた。名編集者として知られた集英社の池孝晃のスペイン取材に同行した帰りの飛行機の中、「闘牛にそれだけ詳しいなら、書いてみなさいよ」と言われたのである。
「だから2カ月後に原稿を池さんのところに持って行ったんです。本当に書いたの? って驚かれましたが」
この時の作品『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』は、プレイボーイドキュメントファイル大賞を受賞し、カメラマンから作家へと意識が変わる記念すべき一冊となった。思いがけずノンフィクション作家の仲間入りをした佐伯は、まずノンフィクションを、やがて小説家として次々と小説を発表することになった。『角よ故国へ沈め』『アルハンブラ─光の迷宮 風の回廊』『狂気に生き』『殺戮の夏 コンドルは翔ぶ』『ピカソ青の時代の殺人』など、闘牛やスペインを舞台にしたものから警察小説、冒険小説、サスペンス、重いテーマのものまでさまざまなジャンルの作品をひたすら書いた。が、どれも全く売れない。ついに最後の命綱だった出版社の担当者に呼び出され、もう出せないと言われた。
「唯一の収入源でしたし、もう55歳を過ぎてましたからねえ。すごいショックでそれが顔に表れていたんでしょうね。帰りに死なれちゃたまらんと思ったのか、あとは官能小説か時代小説しかないですよねって編集者が言ったんです。あくまで引導渡すためであって、どっちかを書けって注文じゃなかったんですけどね」
わかっているけれど、渡された引導を投げ返すしか生きる道がない。官能小説は無理だが、時代小説なら子どもの頃から貸し本屋や映画館通いで馴染みがある。猛然と図書館で勉強し、翌年、時代小説の短編を数編書いて出版社に持って行った。
「君は馬鹿か、短編は名手が書くものだって言われました。あ、そうか長編だったかって思って書いた長編が『密命 見参!寒月霞斬り』でした」