書いても書いても売れない不遇の時代から、ベストセラー作家へ。
人生が激変したのは50代も半ばを過ぎたころだった。
時代小説という豊かな水脈を得て、今はひたすら執筆に没頭する。
作品を心待ちにしてくれる読者のために
今日も机に向かえることが、このうえない喜びだ。
岩波別荘との出会い
書店の文庫コーナー。佐伯泰英が書き下ろした時代小説の新刊が毎月のように平積みされ、待ちかねたファンが手にしていく。1999(平成11)年に第1弾が始まった『密命』、2001年スタートの『鎌倉河岸捕物控』、『吉原裏同心』、02年から通算1500万部を突破した『居眠り磐音(いわね) 江戸双紙』など10を超えるシリーズはすべて長命。売り上げ累計は4000万部を突破し、連載、単行本、数年後に文庫化という出版界の流れの中で、文庫書き下ろしという新スタイルを確立したといわれる。だが佐伯は、熱海の仕事場の近く、自らの手によって4年がかりで復元された「惜櫟荘(せきれきそう)」の居間で、やや困惑気味に口を開いた。
「意識的にそれを求めたのではなくて、売れない作家が57歳になって初めて書く時代小説を出版する版元のリスクを減らすには、書き下ろしを文庫で出すしかなかったってことです」
その肩越しに、人工物が何一つ目に入らない相模灘が広がり、初島がくっきりと浮かび、その背後に大島が霞んで見える。
「僕の人生は、時代小説を書き始めたのも含めて、本当に行き当たりばったりなんです。この惜櫟荘を買うことになったのも、復元することも、みんなはずみなんですから」
惜櫟荘は、岩波書店創業者・岩波茂雄と建築家・吉田五十八(いそや)が、お互いの美意識をぶつけ合って、太平洋戦争開戦直前の41年に完成させた岩波書店の別荘である。佐伯との縁は、時代小説がヒットして03年に熱海に仕事場を求めたことから始まった。
「それまで公団住宅で職住一致だったんですが、忙しくなってさすがに難しい。それで大好きな海の近くの古い一軒家を仕事場にしたんです。その仕事部屋の窓からある建物の屋根が見え、その屋根が美しかった。門柱にうっすらと岩波別荘と書いてあって、初めてそれがどういう建物なのか知りました」
多くの文豪が招かれたであろう建物も庭も、訪れる人はなく手入れが行き届かずに荒れていた。が、散歩がてらに覗いているうちに、しだいに建物のもつ端麗さ、漂う気品に惹かれ、やがて惜櫟荘が売りに出されるという話を聞いた。誰かに買われると壊されるかもしれない。コンクリートの味気ない建物が建ってしまうかもしれない。