DXの正体

2021年7月31日

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五十嵐弘司 (いがらし・こうじ)

東京工業大学大学院総合理工学研究科修了(工学修士)。1980年、味の素(株)に入社。バイオ精製工程のプロセス開発に従事。1998年からアメリカ味の素(株)アイオワ工場長、技術開発センター長を経て上席副社長。2009年、味の素(株)執行役員経営企画部長。その後、取締役常務執行役員、取締役専務執行役員に就任。中期経営計画の策定、M&A実務実行など、味の素(株)で経営の中枢を担う。また、技術統括・情報統括として、イノベーションの実現、グローバル展開、ICT活用やデジタル化を推進した。現在、公益社団法人企業情報化協会代表理事副会長、一般社団法人日本能率協会開発・技術部門評議員会副議長などとして活動中。企業経営にかかわる多数の講演実績がある

 今回紹介するグリッド社は、我々の目の前に広がる世界を、アルゴリズム(取り組み手順や計算手法)やAI(人工知能)を用いて、コンピュータ上に再現し、未来の状況を可視化するシミュレーターと、さらに現実世界を最適化させる技術を組み合わせた予測・最適化ソリューションを実用化し、事業に活用することを展開する先端企業だ。

 現実の世界をコンピュータ上の世界にそっくりそのまま再現することを、双子にたとえ「デジタルツイン」といわれている。情報関連技術の急速な進化により、近年、このシミュレーションがオンタイムでできるようになった。これは、現実とコンピュータの世界が同時並行して動く、全く新たな世界を提供することになる。

 

 グリッド社は、デジタルツイン・最適化の実用化の一歩として、まず石油タンカーの配船(運航計画)をAI(人工知能)によって最適化することに成功した。

 実証実験を共に行った出光興産は、国内に41カ所の油槽所を持ち、80隻のタンカーで適切に石油を分配している。海の天候状況、各油槽所の石油残量など、考慮しなければならない変数は無数にある。そのため、これまで配船計画は熟練社員が担ってきた。つまり、人間の経験値でなんとかやりくりしてきたわけだが、ここにAIを活用することで最適化を図るという試みだ。結果的に、従来に比べて計画時間で60分の1までに削減、輸送効率を20%向上させることに成功した。

 いわば、DX(デジタルトランスフォーメーション)の王道とも言える。これを実現したグリッド社社長の曽我部完さん(48)は、DXを意図したわけではなく、「やってみたい」「もっと知りたい」という自分の気持ちに素直に従うことでここまでやってきたという。曽我部さんの足跡を振り返ってみよう。

友達は五輪選手

 曽我部さんは父親の方針もあって、「勉強より運動」という子ども時代だったという。ところが運動といっても、野球やサッカーなどではなくモトクロスバイクや、ヨットに乗っていた。日本で唯一ともに言えるヨットスクールに通っていたこともあり、その後、多くの友人が五輪選手になったという。「ヨットスクールは、セレブの子ばかりで完全に浮いてました」と笑う。その後、高校ではラグビー、大学では再びヨット三昧の日々を過ごした。

 「学生の頃は、とにかくスポーツ中心でした。そうこうするうちに就職しなければならない時期を迎えました。父親が広告関連で個人事業主だったので、自分でもいつか起業したいと考えていました」。その前にまずは、修行ということで、「人が幸せになる仕事がいいな」という思いで花屋に勤めようと決め日比谷花壇の門を叩いた。入社半年は店舗を経験して、その後は、今でこそ当たり前になっているECによるフラワービジネスを業界に先駆けて立ち上げるなど、新規事業、子会社を立ち上げる仕事にまい進した。「なんでもかんでも自分でやる。そして、事業を黒字化させる」という今につながる経験を積んだ。

 そして、32歳のとき退社を決意した。当時の社長(現会長)にそのことを報告すると「自分で会社をつくるならつぶすなよ。仕事で金儲けするのは二流、社会のためになることをするのが一流だ」と、金言をもらったという。

 「その後、自分で本当の意味が分かるようになるには、数年かかりました」

 退職後の1年間は、まったくの無職。「サラリーマン時代は、寝る間を惜しんで、時には明け方まで働いていました。だから、辞めてからの1年は、心身をリセットするために働かないと決めていました。大げさでもなんでもなく毎日スーパー銭湯に通っていました(笑)」。

 この極端までの〝メリハリ〟こそ曽我部さんの真骨頂と言えるだろう。小さくまとまるのではなく、振れ幅が大きいからこそ、大きな仕事ができる。そして迎えた2005年、33歳の誕生にリスタートした。ちょうどネットショッピングが立ち上がり本格的に浸透し始めたときでもあり、初年度から絶対に黒字化するという信念のもと「最初は、ほふく前進。着実にということで、堅実に地に足のついたビジネスを」と考え選んだのが倉庫・物流業だ。

 雑貨、アパレルなどの通販事業者の商品を扱うなどして事業は初年度から黒字化し、以後右肩上がりで拡大した。そのわずか4年後、それまでとは全く違う分野の太陽電池事業を始めることを決意した。というのも、英国の大学で研究者をしていた兄から、「ヨーロッパでは、ナノテクと太陽電池が重要になっているが、大手企業ではなくスタートアップが担っている」と聞き、興味を持ったからだ。

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