運命の電話
軌道に乗ったのは、5冊目に出した絵本『買いものは投票なんだ』(藤原ひろのぶ 〈著〉ほう〈イラスト〉)だった。ここで一息付けたところで、運命の電話がかかってきた。「日記シリーズ」第一弾となる、『交通誘導員ヨレヨレ日記 当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます』の著者、柏耕一さんからの電話だった。すでに数社に持ち込んで断られた後だったが、中野さんは出版を即決した。
「ちょうど‶老後2000万円問題〟が話題になっている時期と重なり、メディアでも著者の柏さんを大々的に取り上げてもらえました」
以後、60代、70代の就業実体験を綴った「日記シリーズ」は、それぞれ大ヒットとなった。ライターなどによる潜入取材などと違い、当事者が書いているだけに「自分事」として真に迫ってくる作品が多い。それにしても、プロの書き手ではないだけに編集作業は大変そうだ。「いくら内容が面白くても、書けないという人の本は作りません」。
いずれにしても、高齢になっても働かざるを得ない日本の実態を伝えるという意味では、意義のある書籍だ。
「社会とか、そんな大それたことは考えていません。自分が面白いと思う本を作っているだけなんです。そういう意味では、ノルマに追われることもなく、今は自分が作りたい本だけを作れているので、本当に幸せです」
とにかく、新刊本を作って「売上」を立てるということが横行している出版業界において、「好きな本だけを作れる」というのは貴重な話だ。ただ、それは中野さんが一人でリスクをとったからこそ可能になったとも言える。
「人を雇ったりして会社を大きくするということは考えていません。特に趣味があるわけではないですし、友達が多いわけでもない。一人で原稿に向き合っているときが、一番楽しいんだと思います。最近は読者から電話がかかってくるようになりました。『日記シリーズ』を読んだという感想や、『次回はどんなのがでるの?』という質問です。手紙でも同じような内容のことが届きます。今は、こうした読者の気持ちを裏切らないように、『1430円分楽しんだ』と思ってもらえるように、100%自信のある本を出すことだけを考えています」
苦境にたった時にこそ、自分を信じてむしろ前向きに「一歩踏み出してみる」、ロスジェネ世代にも、出版社にも中野さんの姿勢はおおいに参考になる。