2024年11月22日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2022年2月18日

アナキストを自称するオードリー・タン

 本書には、台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンも登場する。人類学者ではないが、「保守的なアナキスト」を自称し、強制から解放された社会を志向しているのだ。

「タンが重要なことを述べていますね。異なる他者の受け入れは自分の安全が前提となる。だから、まず“安全な居場所”作りを、と?」

 タンは台湾のコロナ感染拡大をデジタル技術の駆使により防いだが、最初の対策はマスクの大増産による国民個々の安全な場の確保だった。

「それに加えて、対策の透明性と説明責任も言っています。そうした諸条件があれば、国家の下でも支配・被支配の関係ではないアナキズム的空間が作れます。革命による国家の転覆が混乱をもたらすだけだとしたら、国家の中で、各自がさまざまな隙間に“安全な居場所”を見つけ、そこから相互扶助、公正・平等の活動を起こす他ありません」

 松村さんは2016年4月、熊本県に地震があって実家が被災し駆けつけた時、高齢の母親を支えてくれたのが隣近所だけだったことを記し、「頼りになるのは顔の見える社会関係」と強調した。日本におけるアナキズム的空間の実例である。

ちょっとした手助けに救われる

「別の例で最近のものはありますか?」

「指導している学生の卒論が、近所の古着屋の例を報告しています。サロンのように人が集まる店で、そこに非行から不登校になった男子高校生も来た。学校は合わなかったけれど、彼には安全な居場所になった。すると彼の母親が店に来て、“引きこもって話をしなくなった息子が店の話を楽しそうにしてくれた”と涙ながらに語ったそうです。小さな事例ですが、こんな場所が町のあちこちにあれば、とても大きな意味をもちます。私たちは皆人生のどこかで、ちょっとした手助けに随分救われてきたはずです。何もかも行政頼みにせずに、自分たちでまず動いてみることが大切だと思います」

 もっとも、日本の場合には気になる社会風潮がある。最終章に記述されるように、日本では「他人に迷惑をかけない」ことを、家庭でも学校でも最初に教え込まれてきた。 

「それが問題なんですよね。かつてはお互い様で助け合うのがあたりまえの中でのマナーだったものが、今は自己責任を前提に個人だけに問題を押し付けてトラブルを表面化させない圧力になっています」

 松村さんはそう言って、小学校に通う自らの娘たちの例を口にした。

「体育帽を忘れた子に、上の子が余分な一つを貸したら“学校で貸し借り禁止”。小1の下の子に漢字で松村と書いた上の子のお下がりのジャージを渡そうとしたら、“習ってない字だから平仮名に”。靴下の色もそうですが、何のためのルールか、わからないし、それを自分たちで考える機会も奪われている。先生のためのトラブル未然防止策でしかない。トラブルや問題が起きたときこそ教育の出番なのに。誰かが決めたルールに従うだけで、大人になって政治に関心を持とうと言われても無理ですよね」

 人類学では「人間は不完全な存在」と見る。不完全だからこそ、どの時代、どの土地でも、他者と協調し相互扶助のアナキズム空間を作ってきた。その根底にあるのが自分たちで問題に対処する能力だ。

 現代ではこうした行動は「孤独な行為」と思われがちだが、実は「人類の普遍的営みとつながる」、と示すのが学者の仕事、と松村さんは確信する。

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