『非正規介護職員ヨボヨボ日記』(三五館シンシャ)の著者の真山さんは5年前の56歳の時、小さな住宅型有料老人ホームの介護ヘルパーになった。本書はそこでの体験記である。
大学卒業後、建設コンサルタント、環境商材会社経営、居酒屋経営、広告会社営業マンなどの職歴を重ねたが成功には至らず、ハローワークで推奨されたのが介護職だった。
「50代後半でも、他にマンション管理人とか警備員とかあったと思うんですが、なぜ介護施設の職員を選んだんですか?」
「数年前、父を施設に入れようと何ヵ所も見て回りました。結局病院で亡くなったので入らなかったのですが、生き生きした施設もそうでない施設もある。私は人と関わるのが好きなので、面白いな、と思いました。それにハローワークの職員が、“介護職ならいつも求人はある”と言っていたので」
最終的に、知人が運営する老人ホームに非常勤職員として雇用されたのだった。
しかし、介護業務は名だたる4K(きつい、汚い、危険、給料が安い)の現場。単に「人と関わるのが好き」では勤まらない。
現に日記形式の冒頭から、紙オムツの中に平然と大便をして、換気のために窓を開けると「蠅が入る!」と怒鳴る、わがままを言い放題の男性入居者の話が出てくる。
そんな入居者に、「ヘルパーは奴隷か」と憤慨しながら表面には出さず、丁寧に淡々と作業を進める、そのバランスが絶妙なのだ。
「暴言・暴力のない人でも、自慢話、ホラ話、嘘の話はザラ。そんな入居者に、“細心の注意+気にしない”態度で接するのがいい?」
「皆さん、多少は認知症が入っていますからね。そこは理解して接しています。でも、ウチは大便を投げつけたり、食べたりする重症の人がいないから、まだマシですよ。重度の人にはまた別の施設があります」
本書は全編、リアルかつユーモラスに綴られているが、真山さんが執筆の上でもっとも気をつけたのは、「登場する人たちを決して見下さないこと」だった由。介護の基本理念は、個人の尊厳と価値を守ること、なのだ。
だが、実際の現場では、入居者の方に明らかに「非」がある場合も少なくない。
例えばセクハラ。入浴の際、介助する若い女性職員に対して、男性入居者が胸をさわったりするのはよくあるケースだ。
「先日、厚労省が、介護職員の受けたハラスメント事例集を出しました。その中に入浴介助時のセクハラ例もあり、そんな時は“一対一で対応せずシフト調整を”と対応策を示しています。どう思いますか?」
「お役所は現場がわかっていない、と思いますね。シフト調整といっても、嫌な職員はすぐ辞めてしまいます。卑猥な話やタッチは日常茶飯事なので、あとは残った職員が“これも仕事の一部”と割り切って対処しないと、介護施設そのものが回って行きません」
セクハラ事案は男性の入居者に限らない。本書には、若い男性職員に対し、投薬の介助時に相手の指を舐めたり、相手の顔に胸を押しつけたりする女性入居者の話も出てくる。
こうした言動について、「性は人間の業」「色気も高齢者の元気の秘訣」と真山さんは、距離を置いた感想を記している。
本当は自宅で最期を迎えたい
「第3章に、“本当は(全員が)自宅で最期を迎えたい”とあります。だけど“家族の事情”でそれができない。それで各種の介護施設が必要になっているわけですが、この大枠の状況についてはどう思いますか?」
日本では2000年度に介護保険制度が始まった。それ以来、大多数の日本人が、主に病院で亡くなる前に、各種介護施設(や訪問介護で)介護サービスを受けるようになった。
社会の少子高齢化に対応して、「介護の社会化」が急速に普及したのだ。
「本来の大往生は、家族や親しい人に見守られてのものだから、それまでの介護も、可能なら家族にやってもらった方がいいです」
真山さんの居住する鹿児島県でも、それが「当たり前」だった。現在でも、離島や辺鄙な場所ではそうした習慣が残っている、と。
「だけど、大家族が解体し、核家族の絆も稀薄になった現代では、家族による介護なんてとても無理ですよね。子どもや孫たちも、自分のことで精一杯なんですから」
本の中では、家族が面会に来る入居者に対して、来ない入居者が複雑な思いを向ける場面や、施設に親しんでいた入居者が家族の都合で突然退所する例などが描かれている。
「中には入居の時、“お金払えば死ぬまで面倒みてくれるんでしょうね”と露骨に言う家族の人もいます。介護施設の数は増えたり減ったりですが、私の感触では、介護施設の方向性は、ますます“現代の姥捨て山”化するのではないでしょうか」
こんな状態が、いつまで続くのだろう。