オトナの教養 週末の一冊

2022年2月18日

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『くらしのアナキズム』(松村圭一郎、ミシマ社)は、よりよい社会を実現するため、暮らしの中に人類学で言う「アナキズム」を取り入れてみよう、と提唱する本である。アナキズムは無政府主義と訳され、歴史的に思い浮かべるのは革命や暴力、無秩序な混乱状態だが、「人類学では、そうではない」と著者の松村さんは言う。

 アナキズムとは古代ギリシア語で、an(非)、arche(支配)。つまり、そもそもが支配を否定する思想・態度なのだ。

「通常、世の中をよくするために私たちが考えるのは、選挙で一票を投ずること。余りに微力で、手応えもありません。けれど、“国家なき社会”を研究してきた人類学の視座から見ると、人類は遠い昔から自律的な相互扶助による、国家の力によらないアナキズムの平等社会を築いてきました。その潜在能力を掘り起こし、日々の生活に生かすのです」

 人類学には、一つの学問的流れがあった。

『贈与論』を著したフランスのモースは、メラネシアのクラ(貝製腕輪・首飾りの交換)や、北アメリカ先住民のポトラッチ(威信のための競争的な贈与・饗宴)など、世界各地に、宝物を「与える」「受け取る」「お返しをする」ことにより、他集団との関係を(敵対的ではなく)強調と連帯に置き換える伝統的習俗があることを明らかにした。

 マダガスカルで無政府状態を体験したデヴィッド・グレーバーは、無政府状態でもカオスにはならず、むしろ自分たちで秩序を作ると報告した。著書『民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義』(以文社)では、民主主義が古代ギリシア発祥ではなく、世界中で名もなき人々が暮らしの中で実践してきたことだ、と説く。

 アメリカのジェームズ・C・スコットの『ゾミア 脱国家の世界史』(みすず書房)は、国家による富と労働の収奪から逃れ、中国南部や東南アジアの山岳地帯に逃げ込んだ少数民族を描いている。ゾミア=非国家空間はアナキズム的抵抗であり、それは現代においても、労働のサボタージュや市民的不服従の形で時代を超え受け継がれている、とする。

「“国家なき社会”では構成員の同意が基本であり、リーダーは妥協点を探りながら意見の調整をするだけ。リーダーに格別の特権はなく、富の独占など許されないわけですね?」

「ええ。リーダーが富を独占すると、支配・被支配関係が生じてしまいます。人間は欲深い存在だからこそ、特定の人に富や特権が集中しないように時間がかかっても話し合い、公平・平等な仕組みを作ってきました」

生活の中にあったアナキズム

 本書では日本の事例も紹介している。

 民俗学者の宮本常一は、対馬の「寄り合い」で、宮本に集落の古文書を貸し出すかどうかを、全員の意見が一致するまで何日も話し合いを続けたと、著書に記録している。

 モースに人類学を学んだ、きだみのるは南多摩郡で、村の世話役から、裏山の木や薪の分配が、厳密に同じ重量で、しかもクジ引きで徹底的に公平・平等に行われることを聞き出した。

「アナキズム的社会が世界各地にあったことはわかりました。しかし現在、その状態から発展した国家はないですね。なぜ、国サイズまで成長できなかったんでしょうか?」

「アナキズム国家、というのは語義矛盾です(笑)。ただ、アナキズム的な集団は確かに規模が小さいですが、あちこちに無数に存在します。そうした集団が近代的な国家に取り込まれるなかで、いろんな問題が生じました」

 例えば民族間の虐殺があったルワンダ。フツ族とツチ族は長く共存していたが、ベルギーの委任統治時代に差別的な分断政策を施行され、独立後両民族の間に禍根が残ってしまった。

「でも、民族間の闘争のような争いは、独立国家ができる前からあったのでは?」

「ありました。私が調査するエチオピアにダサネッチという牧畜民がいます。彼らは隣接集団と常に戦いを繰り返し、そのたびに死傷者も出た。だけど、面白いのは「敵」とされる集団にも盟友がいたりするんです。だから一致団結して敵を滅ぼすという感じにならない。おれは行かないと、戦闘に参加しなくても仲間から文句は言われません。むしろ、カラシニコフ(機関銃)のような近代国家の武器が流入したことで、死傷者の数がケタ違いに跳ね上がりました」

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