平成時代は、昭和天皇崩御の1989年1月に始まり、現上皇の生前退位の2019年4月に終わった約30年と4ヵ月の期間。
『平成史―昨日の世界のすべて』(文藝春秋)は、終わったばかりでまだ全体像が掴みにくいこの「平成史」を、独自の切り口で描き出そうとした意欲的な通史である。
「執筆のきっかけは、評論家の宇野常實さんのメールマガジンに平成史を書くよう頼まれたこと、ですか?」
「ええ。それと、私自身が2007年から7年間大学教師をしていて、平成世代の学生との間に感覚のズレを感じたことです」
一例が丸山眞男。戦後の民主主義思想を主導した知識人で平成8年(1996年)まで生き、言論界に大きな影響を与えた。昭和世代には国語の教材(「『である』ことと『する』こと」)の著者としてもおなじみだったが、学生が丸山の名前を知らない。
「誰それ状態、ですよ(笑)。平成に起きたことの前提が忘却の彼方。これはもう自覚的に橋渡しをやるしかないな、とはずっと思っていました」
平成は身近だっただけに、歴史的な意味が曖昧で、「流れ去った」感覚が強い。
1993年8月の細川護熙氏による非自民連立政権発足などがそうだ。55年体制を打ち破った戦後政治の分水嶺だったのだが、それがどのように準備され、どう挫折したのか、本書を読んで改めて理解できた気がする。
與那覇さんは一連の経緯の本質を、当時細川氏を担いだ小沢一郎氏(新生党代表幹事)のブレーンだった団塊世代の学者たちが年長者を放逐した「論壇上のクーデター」と捉え、以降「脱・戦後の主導権が急進派の手に渡った」と歴史的に位置付ける。
本書の最大の特色は、平成時代を「2人の父(昭和天皇と社会主義)の死」で始まった時代、として通史を説き起こしていることだ。
確かに1989年は、日本国民にとっては戦前・戦後を通じて「巨大な存在」だった昭和天皇崩御の年だが、世界的には米ソの指導者により冷戦終結が宣言され、世界を2分したマルクス主義思想が凋落した年でもある(ソ連の解体そのものは1991年12月)。
「つまり平成は、2人の父の死によって左右の思考のモデルが失われ、スキゾ・キッズなど子どもの時代が本格化し、しかしその祝祭への疲れから現状維持や日本回帰が跋扈して、そこに社会や文化の分断も加わり、最終的には歴史文脈を喪失した刹那的で各自バラバラな状態の日本社会に至った、ということですね? 序文の言葉によれば、“青天の下の濃霧”の時代だった?」
「そうです。書く上で意識したのは、平成開始の時に私自身が小学4年生。何か、可能性に溢れたとてもいい時代がやってくる、と感じていて、世間の空気も明るかったことです。当初の“青天”を記憶している世代として書きたいと思いました。もう一つ意識したのは、韓国・中国など東アジアの動向です。平成が幕を開けた時、日本はアジアで唯一の先進国だと国民は思っていた。まだ昭和の幻想があった。ところが30年間の経済の停滞が続き、気づくと中・韓に追い越されていた。今や日本はアジアのワン・オブ・ゼムの国です。そんな推移を意識して執筆しました」
平成時代と聞いて誰しも思い出すのは、1995年と2011年だろう。
95年は1月に阪神・淡路大震災、3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、11年3月には東日本大震災が発生した。
ところが、本書で與那覇さんが「平成史の画期」として揚げるのは、両年ではなく1997年と2016年だ。なぜなのか?