2022年12月5日(月)

家庭医の日常

2022年3月25日

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葛西龍樹 (かっさい・りゅうき)

福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座主任教授

1984年北海道大学医学部卒業。北海道家庭医療学センター設立および所長を経て、2006年から現職。英国家庭医学会 最高名誉正会員・専門医(FRCGP)。日本プライマリ・ケア連合学会監事。著書に『医療大転換 ─日本のプライマリ・ケア革命』(ちくま新書)など多数。

 多くの避難民がやって来るウジホロドの国境・前線・駅の検問所では、地域でのプライマリ・ヘルス・ケアの専門医である家庭医たちがケアを提供している。将来家庭医になるために家庭医療の専門研修を受けている研修医(専攻医と呼ぶ)たちもこれらの場所で働き始め、赤十字社と連携して初期治療などで大きな力となっている。

 パブロの息子も1年目の家庭医療専攻医であり、これらの場所で働いている。そこで家庭医として素晴らしい、かけがえのない経験をしていることは認めつつも、パブロは、親として、ウクライナ人として、「息子の人生でこのような経験をすることが起きてほしくなかった」と胸の内を明かした。

差し迫った医療ニーズ

 人口が2倍になったウジホロドでは、差し迫った医療ニーズがある。乳幼児を連れた女性と高齢者が多く、医療支援を求めている。

 一番困っていることは医薬品の不足だ。特に、糖尿病でのインスリンと経口血糖降下薬、高血圧での降圧薬、不安やうつ病での抗不安薬と抗うつ薬、そして甲状腺機能低下症での甲状腺ホルモンが不足している。これらの治療薬なしでそれぞれの疾患を治療することは考えられないほど困難であるが、薬局はどこも在庫が尽きている。

 甲状腺機能低下症はさまざまな原因で起こるが、ウクライナの場合は特別な事情がある。日本でも何度も報道されているので、おおよその地理的関係が分かると思うが、1986年4月26日に原子力発電所事故が起こった旧ソ連領内のチェルノブイリは、現在のウクライナの首都キエフの北西、ベラルーシとの国境近くにある。原発事故後、ウクライナでは多くの甲状腺がんが発生している。その治療のために手術で甲状腺を摘出すると甲状腺ホルモンが分泌されなくなり、甲状腺機能低下症となるので、甲状腺ホルモンを内服薬として補い続ける必要がある。

 目下の状況では、いくら待っていても治療薬も医療材料(包帯、ガーゼ、止血バンド、シーネ、創傷処置器具など)もやってこない。そこで、パブロたちはWONCA Europeのネットワークを使って、ハンガリーの家庭医たちの協力を得ながら、寄付を募り、薬品・材料などを購入して国境を越えてウジホロドへ搬入している。

 現在、60歳までの男性はウクライナの国境を越えることができないため、主として女性が3.5トンまでの物資を満載したトラックを運転して運んでいる(3.5トンまでの荷物だと通関手続きが簡易なため)。寄付金を受け取る銀行口座は、ウクライナ国内の銀行だと多くのリスクがあるため、ハンガリーに口座を開いて米ドルとユーロによる送金を依頼している。

ヨーロッパ家庭医による共感・支援の輪

 パブロの報告に対してすぐに共感の輪が広がり、彼の講演中にも相次いで多数の支援の申し出がチャットに書き込まれた。特に、専門研修中の専攻医たちへのサポートについては、このような困難な状況下でも専攻医たちが十分学ぶことができる環境を整備して、それぞれのケアの現場で、避難して来た人たちに対しできるだけ優れた人間的なケアを提供できるようにしたい、というパブロからのリクエストに応えようとしている。WONCA Europeの指導医たちの分科会であるEURACTが中心になり、ウクライナの家庭医療専攻医たちが今、何を優先して学びたいかを確認した上で、必要なケアの実際について学ぶ教育ウェビナーを毎週始めることになった。

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