<本日の患者>
K.B.さん、80歳女性、もと中学校教師。
30年以上経っても忘れることができない患者との遭遇というものがある。ミセスB(K.B.さん)は、カナダのバンクーバーで私が家庭医になるための専門研修(レジデンシー)を受けていた時、病棟研修で2週間ほど受け持っていた入院患者だった。
当時彼女が患っていた疾患は、急性期の問題として肺炎、慢性の問題として高血圧、甲状腺機能低下症、変形性膝関節症、そして白内障。入院の原因となった肺炎が難治だったため、積極的な治療を打ち切ろうとする内科専門医と感染症専門医に対して、私がもっと患者・家族の気持ちと退院後の生活環境も考慮して判断すべきだと主張して専門医たちとちょっと険悪な関係になってしまい、私の家庭医の指導医が仲裁してくれたことがあった。
疾患の経過について覚えているのはこれくらいで、詳細はもうすっかり忘れてしまっているのに、今でも鮮明に記憶しているのは、毎日の回診でミセスBが私に話してくれた彼女の人生の物語だ。その物語が、今、現実にこの地球上で起こっていることと重なり、より切実に思い出される。
戦争・侵略・占領・動乱によって翻弄された半生
ミセスBはウクライナ生まれのユダヤ人である。彼女の半生は、多くの戦争・侵略・占領・動乱によって翻弄されてきた。彼女は、ウクライナの西部と国境を接しているハンガリー人のJさんと結婚してブタペストの中学校でドイツ語教師をしていた。
ナチスの侵略によりホロコーストで命を落とした市民も多数いたが、ミセスBがドイツ語教師だったために、公文書整理の仕事を与えられ、彼女と家族は生き延びることができた。ただ、第二次世界大戦後も苦難は続き、独裁国家の樹立そして東西冷戦時代の厳しい日常生活の統制などのために、ミセスBとJさんは幼い子どもたちを連れてカナダへの移住を決意したのだった。
このような悲惨な半生をくぐり抜けてきたにも関わらず、そしてその時は難治の肺炎での入院生活が続いていたにも関わらず、ミセスBは明るかった。
「親愛なる日本のドクトル天使ちゃん、ごきげんよう!」
毎朝私が病室へ回診に行くと、ミセスBは必ず笑顔で私に、ちょっとドイツ語なまりの英語で(私が解さないハンガリー語またはウクライナ語なまりだったかもしれない)そう言って両手を広げてハグする真似をした。
それは「残りの半生を幸せに生きたい!」という彼女の懸命な努力の一つだったとも言える。その努力に痛々しさを感じてしまうこともあった。それでも私は、いつも時間の許す限り喜んでミセスBの物語を傾聴したし、そうすることが家庭医として重要なことだとも理解していた。