2024年11月22日(金)

研究と本とわたし

2013年4月3日

 また、『見えない世界』(中村浩著・あかね書房・小学生学習文庫)は、顕微鏡を使って自然界を見てみましょうという入門的な生物学の本。これで顕微鏡がとても欲しくなって、親におもちゃのような小さな顕微鏡を買ってもらった記憶があります。もっと本格的なものとなると、『植物学九十年』(牧野富太郎著・宝文館)。担任の先生の紹介で読もうとしたのですが、中には小学生には難解な漢文なども出てくるので、そこはさすがに飛ばして読んでいました。

 中学時代に読んだものでは、『ファーブル伝』(ルグロ著、白水社)。これは著者が晩年のファーブルと直接会って、原稿の間違いを訂正してもらったりしながら話を紡ぎ出すというスタイルの本人公認の伝記です。このファーブルや牧野富太郎のことを知ってからは、彼らの生き方にあこがれるようになりました。自分の好きなことをして生きていくというのもいいかなと思うようになって、それも今から考えれば、研究者への道を歩むひとつのきっかけになったかもしれません。

――子どもの頃から、本がお好きだったわけですね。

鬼頭氏:私の場合、すごく環境に恵まれていたと思います。まず、小学校、中学校ともに、図書館が非常に明るくて落ち着いた雰囲気で、建物自体も好きで、頻繁に通っていた場所でした。また、本好きの友達が何人かいて、良い意味で対抗心があったので、彼らに刺激を受けた面もあります。それに、家の近くに「つけ買い」ができる本屋さんがあった。注文すると取り寄せてくれるし、両親はそれを全面的に認めてくれていましたね。これは幸せでした。

――興味の対象が、現在の研究につながるような分野になったのは、いつ頃ですか?

鬼頭氏:中学生のとき、2人の国語の先生に影響を受けて、民俗学への興味も生まれてきたのです。お二人とも折口信夫や池田弥三郎の門下生で、踊りとか口承文学にまつわるおもしろい話をしてくれました。ちょうど当時の教科書に柳田国男の話も載っていて、そのあたりから彼の著書も読むようになりました。最初に読んだのは、『野草雑記・野鳥雑記』(岩波文庫)。いろんな植物にまつわる民俗についての短い文章が載っているものです。牧野富太郎を読んでいたので、自然に興味が湧いて、これを軸に少しずつ他の著作にも手を伸ばしていき、どんどん今の研究に近い方向へと興味の中心が移っていったわけです。

 その一方で大学は経済学部に進みました。結局、当時の高度経済成長時代の流れに押された形ですね。でも、ゼミを決める2年の秋に、進路に迷ったときに頭をもたげてきたのは、やはり柳田国男であり民俗学でした。そこで、経済学のなかで一番それに近いのは経済史ではないか。それも日本をフィールドに経済史を研究している先生がいい、と考えて、いろいろ調べた結果、行き当たったのが速水融先生。いわば、指導者を「発見」したわけですね。速水先生がどんな授業をしているか知らなかったので、自分が取っていない講義を聴講に行きました。


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