戦後なお引き続いたアジア太平洋諸国の対日不信から、同地域において北大西洋条約機構(NATO)型の多国間安全保障機構は創設されなかった。一方、このハブ・アンド・スポークス型の同盟網の中で、日米同盟はとりわけ米韓同盟と密接な関係にあった。
矛盾が覆い隠されてきた「一国平和主義」
日米安全保障条約は、米軍は日本の基地を、日本防衛だけでなく、「極東」有事のためにも使用できるとしている。特に朝鮮有事においては、在日米軍は日本政府と事前に協議することなく直接紛争に軍事介入できるとする、日米両政府間の「密約」も存在した。日米同盟は、それだけで自己完結的に存在しているわけではなく、本来的に米国を中心とした極東における安全保障システムの一機能なのだ。そしてこのようなシステムが、「極東1905年体制」を事実上支えてきたのである。
一方、戦後の日本では、自国を取り巻くこうした戦略的・地政学的現実にもかかわらず、いわゆる「一国平和主義」が定着した。安全保障をめぐって日本と日本以外のあいだで「線引き」ができる、との前提に立ち、日本の責任と関与は前者のみに限定すべきだ、とする独特の安全保障観である。
米ソ冷戦、そして冷戦終結後の束の間の米国「一極支配」は、朝鮮戦争休戦以来、極東における戦争勃発を強く抑止してきた。それにより、「極東1905年体制」と日本の「一国平和主義」の矛盾は覆い隠されてきた。
ところが今日では、大国化した中国が覇権主義的行動をとる一方、米国は「世界の警察官」としての立場から退きつつある。もし中国が台湾の武力統一に乗り出せば、それは単なる一時の局地戦争にとどまらない。20世紀初頭以来の極東地域秩序の崩壊を意味するだろう。
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