今、北東アジアの国際政治は100年に1度の地殻変動に見舞われつつある。
この地域の安全保障に関して懸念される事態は、台湾有事だ。5月のバイデン米大統領の訪日中の発言でもっとも注目されたのも、台湾有事における米国の軍事的関与についてであった。
実は北東アジア(あるいは極東)の地域秩序は、1世紀単位で考えると驚くほど一貫性がある。それは、日本と朝鮮(少なくともその南部)、そして台湾が、同一陣営にグリップ(関係維持)されてきた、という点だ。
このような極東の地域秩序は、日本が日清戦争の結果として台湾を獲得し、さらに日露戦争の講和条約であるポーツマス条約署名にいたる過程で、朝鮮での優越権保持が列強に承認されたことに起源を持つ。同条約が署名された年になぞらえて、このような地域秩序を「極東1905年体制」と呼ぶことができる。
たしかに、このような地域秩序のパワーの面での担い手は、戦前の日本帝国から、戦後は米国に変わった。またここでのグリップは、日本帝国による植民地支配という「強制」から、日本、韓国、台湾が、それぞれ米国の防衛コミットメントを「同意」にもとづいて受け入れるものに変化した。
それでも、これらの国や地域が、パワーの裏づけによって同一陣営にグリップされるという地域秩序の存在は変わらない。これにより、日本は自国の安全を確保することができた。また、極東に「力の空白」を生じさせたり、域内紛争を起こしたりしない意味もあった。
この「極東1905年体制」の維持を戦後においても可能にしたのが、アジア太平洋地域における米国を中心とする「ハブ・アンド・スポークス」(中心の核と、そこから放射状に広がった線)型の同盟網だった。
日米同盟は米国を中心とする
「ハブ・アンド・スポークス」の一部だ