2022年12月6日(火)

食の「危険」情報の真実

2022年8月9日

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小島正美 (こじま・まさみ)

食・科学ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員

1951年愛知県犬山市生まれ。愛知県立大学卒業後、毎日新聞社入社。松本支局などを経て、東京本社・生活報道部で主に食の安全、健康・医療問題を担当し、2018年6月末で退社。「食」をテーマとして活動するジャーナリスト集団「食生活ジャーナリストの会」代表。主な著書に『みんなで考えるトリチウム水問題』(エネルギーフォーラム)、『メディア・バイアスの正体を明かす』 (エネルギーフォーラム新書)など多数。

 負の側面の典型的な例としては、子宮頸がんなどを予防するヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンが挙げられる。このワクチンは2013年4月に国の定期接種になったものの、接種後に全身の痛みや記憶障害などさまざまな症状を訴える女子たちが現れた。それを伝える悲惨なニュースが毎日繰り返し報道され、わずか数カ月後に接種率が1%以下に激減する事態を招いた。

 今年からようやく積極的な接種勧奨が始まったものの、危険なイメージは消えていない。丸8年間にわたる非接種状態は今後、子宮頸がんの増加という負の遺産となって現れるだろう。これはどう見てもメディアが引き起こした災禍といえる。記者の3つの行動原理が悪い方向にぴたりと働いた結果でもある。

 このHPVワクチンは、不安や恐怖を引き起こして、ワクチン接種を激減させた例だが、ゲノム編集食品や遺伝子組み換え作物、微量の農薬が食品に残留するリスクは、ワクチンほどの恐怖感や不安を与えているわけではない。食べた人に健康被害が生じているわけではないからだ。それでも、「食べたら危ないのでは」という市民グループの懸念の声をメディアがたびたび伝えるため、読み手に漠然として不安感を印象づけることには成功している。

 メディアの影響力は人の考えを180度変えてしまうほどの力ではないことが社会心理学的な研究で分かっている(『マスメディアとは何か「影響力」の正体』稲増一憲著・中公新書)。しかし、筆者の長年の記者体験から、記者たちが「不安だ」「安全性が未確認」といった情報を長年にわたって送り続ければ、「ゲノム編集食品はなんとなく不安なもの」といったイメージの醸成には寄与しているような気がする。

「多様な」市民を見せるネット社会

 では、この構図は変わらないのだろうか。新聞やテレビの論調に異を唱える「カウンター情報」をネットに載せて対抗する市民側の行動が強くなれば、マスメディアの独占的地位を揺るがす状況が生まれるのではと思うようになった。ネットの出現で新聞の影響力が低下してきたことはだれもが認める事実である。既存のメディアはネットで批判されることを恐れる。

 たとえば、ゲノム編集食品でいえば、ゲノム編集フグやゲノム編集トマトは日本の農林水産業に革新的なイノベーションを起こすのだという行動的な市民グループが出現し、ネットで対抗情報を発信し続ければ、既存のメディアは無視できなくなるだろう。

 実は、ひと口に市民といっても、その考え方は左から右まで多様である。既存のメディアはどちらかといえば、これまでは政府に批判的な市民グループを重視してきたが、それに対抗する市民グループがネットを武器に出現してきた。

 今後は市民グループ同士の意見の合戦も出てくるだろう。すでに政治の分野では、それが現実になっている。そのことが朝日、毎日、東京の3陣営と読売、産経の2陣営の分断・対立を生み出した(このこと自体は論争を明確にし、マイナス材料ばかりではないが)。

 ここ数年の言論界は大きく変わりつつある。特に科学技術がかかわる分野では、もし既存メディアが左派的な市民グループだけを相手にしていたら、おそらく読者は減っていくだろう(経営が厳しくなるだろう)。左派的な市民グループに寄り添った新聞をつくり続ける東京新聞や朝日新聞の読者層が今後、増えていくのか、縮小していくのか、興味津々である。

  
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