2022年8月18日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年7月18日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

 科学は社会を発展させることもできれば、大きな誤解を広めて間違った方向へと導くこともある。遺伝子組換え技術(GM)がいまだ危険と信じられているのは、ある疑惑の科学者の「まちがい論文」のためである。

日本でも遺伝子組み換えの反対運動が展開された(2013年、Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

科学と科学者による「間違い」や「不正」

 科学者と付き合ってきた経験から言うと、科学者とはまじめで、理屈っぽく、頑固で、時には付き合いにくいが、悪意はない人種だ。しかしどこの世界にも間違いや不正はある。

 例えば20世紀初頭の英国で古代人の頭蓋骨が見つかり、「ピルトダウン人」と命名され、英国が人類発祥の地として社会は盛り上がった。しかしこれは人と猿の骨を接ぎ合わせた偽造だった。同じころフランスではX線と同様の放射線N線が見つかった。ドイツ人がX線を発見したが、フランス人はN線を発見したとして社会は盛り上がった。しかしこれは実験の間違いだった。

 最近では米国ベル研究所の若手研究員が物理学の世界を驚かす新発見を連発し、ノーベル賞は確実と言われたのだが、それはすべて捏造だった「シェーン事件」。どんな臓器にもなり得るヒト万能細胞を作り出したとして、政府から『最高科学者』の称号を贈られ、自然科学分野で韓国初のノーベル賞候補と言われたソウル大学教授の論文が捏造だった「ファン・ウソク事件」。日本でも簡単な操作で万能細胞ができると発表した論文に不正があり、これを見抜くことができなかった共同研究者が自殺した「STAP細胞事件」など深刻な不正がある。

 不正を防ぐ仕組みが論文の「査読」、すなわち複数の科学者による発表前の論文の審査だ。その内容は、方法が科学的に正しいか、科学の蓄積と矛盾しないか、矛盾の理由を説明しているかなどである。しかし査読は性善説に基づくので、意図的な不正を見逃すこともある。

 最近、ある大学教授の論文の査読を行った科学者が、その教授と連絡を取り合っていたことが発覚して論文は取り下げになった。これは査読制度を破壊する行為だ。事件が表沙汰になった端緒は内部告発であり、これも科学の品質管理の重要な手段である。

 公表された論文を待っているのが「検証」だ。多くの科学者が追試験をし、同じ結果が得られか検証し、得られなければ、その原因が実験方法の間違いなのか、データの偽装なのか検証される。

 このように、査読、検証、そして内部告発により科学の品質が保証されている。それでも不正は起こっているが、その主な動機は名誉欲と言われる。研究の多くは国の補助金で行われるので、不正の被害は科学の信頼低下だけでなく、税金の無駄遣いにもなる。

 実験方法の間違いは時には社会に取り返しがつかない悪影響を与えることもある。その代表が「セラリーニ事件」だ。

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