2022年8月11日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年7月18日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

反GM研究者の戦略とその反社会的効果

 セラリーニはフランス・カーン大学教授で、反遺伝子組換え(GM)団体クライジェン(CRIIGEN)の創設者でもある。彼を有名にしたのが、GMトウモロコシと除草剤ラウンドアップがラットにがんを引き起こすという2012年の論文で、そこには大きながんができたラットのショッキングな写真が掲載されている。

 セラリーニは公表の記者会見に先立ってメディアに論文を渡したのだが、それは機密保持契約と引き換えであり、論文の内容について他の科学者の意見を聞くことを禁止していた。また論文発表と同時にこの研究を基にした映画と出版物を公開した。この巧みな広報活動の結果、多くのメディアはがんができたラットの写真とともに論文の内容を大きく報道し、世界に衝撃を与えた。

 もちろん多くの研究でGMトウモロコシとラウンドアップの安全性は繰り返し証明されている。セラリーニが使った手段は、加齢とともにがんができる系統のラットを使ったことだ。

 論文を見ると、通常の飼料を与えたラットも、GMトウモロコシを与えたラットも、ラウンドアップを与えたラットも、すべてがんができている。そしてがんができる確率は統計学的には変わらないのだが、彼は違いがあると強弁している。もしメディアが事前に専門家の意見を聞けば、がんは自然にできたことがすぐに分かるので、セラリーニはそれを禁止したのだ。

 論文が公開されると世界の研究者から批判が殺到した。それは論文の内容に対する批判だけでなく、査読が十分に行われていなかった可能性と、不正論文を出版した出版社への批判だった。

批判も反対運動の糧にしてしまう

 出版社は調査の結果、「不正はないけれど、内容が不十分」として1年後の13年に論文を取り消し処分にした。もちろんセラリーニはこれに猛反発し、取り消しはモンサントの陰謀と主張し、反GM団体はセラリーニを擁護した。そして14年に別の出版社がこの論文を再出版した。

 科学の世界ではセラリーニ論文を信じる科学者はほとんどいない。「ほとんど」と言ったのは科学者も人間であり、GM反対や農薬反対を叫ぶ人がいる。

 そんな人たちがセラリーニ論文を査読し、そんな出版社がこれを公表し、批判されると「不正はない」と強弁し、別の出版社が再出版するというシナリオに協力したのだろう。「目的のために手段を選ばない」人たちはどこにでもいる。

 論文が批判され、取り下げになることはセラリーニにはむしろ歓迎だろう。「悪徳企業」モンサントや「御用学者」に攻撃されている「殉教者」を装うことができ、反GM団体は抗議運動を続けられるからだ。

 セラリーニ問題は論文と出版物と映画と抗議運動の相乗効果を最大化するために、綿密な作戦計画のもとに実行されたものであり、それが功を奏した。日本の、そして世界の反GM団体がセラリーニの講演会を開催し、彼は反GM運動の理論的な支柱になって、社会に誤解と混乱を広げている。

 12年の論文は320万ユーロ(4億3000万円)の研究費が必要と言われるが、彼が主催する反GM団体クライジェンが寄付金を集めて活動を支えたという。逆に寄付金を集めるためにGMは危険という根拠を示すことが大事なのだ。

 これに対してGM推進側は司令塔も資金も戦略もなかったことが大きな反省点だ。

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