「Wedge」2022年10月号に掲載されている特集「諦めない経営が企業をもっと強くする」記事の内容を一部、限定公開いたします。全文は、末尾のリンク先(Wedge Online Premium)にてご購入ください。
「コダックを追い抜く世界一のフィルムを開発したい」──。そんな思いで研究開発者として富士フイルムに入社したという池上眞平氏(元常務執行役員)。顧客が何とか許容する画質と価格のデジタルカメラが登場した1990年代半ばが、銀塩写真フィルムメーカーにとって「受難の時代」の始まりだったという。結果としてコダックは2012年に破綻、富士フイルムは銀塩写真フィルム事業に代わる新たな活路を見出した。両社の明暗を分けたものは何だったのか?
コダックの異変に気づいたのは、1990年代後半頃のことだ。『Changing Focus:Kodak and the Battle to Save a Great American Company』という本を読んで衝撃を受けた。富士フイルムが米国市場でシェアを伸ばす一方で、苦戦を強いられたコダックは、93年に通信機器大手のモトローラからジョージ・フィッシャー氏を最高経営責任者(CEO)に迎えた。「選択と集中」と「コスト削減」の名のもと、2万人近いリストラが行われ、事業売却を進めた。フィッシャー氏は会社のスリム化には成功したが、新しい事業を生み出すことなく、これを後継者のダニエル・カープ氏に託した。
私が特に注目したのは、一連の改革によって会社から家族的な雰囲気が失われてしまったということだった。それまでコダックといえば社員を家族のように扱い「親子3代コダックに勤めた」ということを誇りに持つ人たちも多かった。それでも、リストラを行った。「コダックのような企業でも、追い込まれると人を大事にしない」ということを思い知らされた。
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