2024年12月11日(水)

研究と本とわたし

2013年6月5日

――既存の「美術」の枠組みを解き放ち、周縁の様々な事象も含めてその成り立ちを追及されていらっしゃいます。幼少時から美術に関心が高かったのでしょうか。

木下直之氏(以下、木下氏): 私は浜松生まれで、ずっとサッカーに熱中していたので、高校3年の頃まで進路のことは何も考えていませんでした。ただ、絵を描くことは好きでした。子ども時代から小さな画塾に通っていて、高校のときは油絵をやっていましたね。

 いよいよ大学進学が近づいた夏休みにたまたま手に取ったのが、『名画を見る眼』(高階秀爾著・岩波新書)です。“名画”と言われる15点の西洋の絵画および、その絵を描いた画家について、高階秀爾先生(現・大原美術館長)が解説されているもので、当時、赤線を引きながら一生懸命読んだ記憶がありますね。ちなみにこれまで買った本は一度も捨てたことがないので、もちろんまだ手元にあります。この間、高階先生から40年ぶりにサインをいただきました。

 この本は1969年が初版で私は71年に読んだのですが、後から振り返ると、それから大学に進んだ70年代は、美術全集が相次いで発行されるなど、日本の社会のなかで、美術、とりわけ西洋美術の情報量が一気に増えた時代でした。この本は、そういうものの先駆でした。

 この本をきっかけにして、美術を考える世界――当時はイコール美術史――に入っていきたいと思ったのかもしれません。

――そこからは、どんなふうに美術と関わっていくことになったのでしょうか?

木下氏:大学では西洋美術史を学んで、20代半ばに就職しました。その頃は美術全集の刊行とともに、美術館が各地に次々とでき始めた時代です。美術というものが受け入れられる社会的環境が整ってきた1981年に兵庫県立近代美術館に学芸員として勤め始めました。

木下直之先生 (撮影:ウェッジ書籍部)

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