これは学芸員を10年間続けてきたなかで、自分にとって切実な問題をすべて入れこんだものでした。“見世物”をキーワードに、幕末・明治の肖像、写真、建築などを取り上げています。少なくとも当時、写真や建築は、美術館では取り扱われない世界で、ましてや見世物なんて論外でした。そういうなかで、「美術」の領域を広げるということを、かなり意識してやったわけです。
特に「肖像」の問題については特にこだわっていまして、ちょうどその頃京都国立博物館で「狩野芳崖展」があり、「鍾馗」が出品されていました。狩野芳崖が怖い顔をした警官をモデルに描いたものだという説明でした。それを読んで、怖い顔をした警官をそのままに描くのが“近代”だと思ったものです。それまでは市井の無名の人を描くということ自体あまりないことだったわけですね。そんな時代の転換点に注目しました。
――そこからは、どんどん現在の方向に踏み出されていったわけですね。
木下氏:それから見世物の世界にのめり込んでいきました。ただ、見世物という言葉は誤解されている感がありました。見世物という文化がかつてどうであったかを考えていくなかで、さらに祭礼の世界にも目が向くようになったのです。
そんなときに出会ったのが、『御迎船人形図絵』(復刻版・東方出版)という本でした。大阪天満宮では、毎年7月に天神祭が催されますが、その際に船に、人形を飾って大川をさかのぼるという神事がありました。この絵本にはその人形が紹介されているのです。最初は人形師に関心があって手に取りました。ところが読んで驚いたのは、たとえば凡例に示された牡丹の花は紙細工、藤棚は蜆の貝殻でつくったとある。これを“見立て細工”と言いますが、蜆貝が紫色だから藤の花にというように、文学の見立てに比べたらひどく通俗的ではあるものの、とても豊かな造形感覚があると新たな発見をした思いでした。こういうものも、近代の日本では忘れ去られてきたなと改めて実感したのです。
――その後、印象に残った本との出会いはありましたか。
木下氏:見世物と芸能という関係では、『私は河原乞食・考』(岩波現代文庫)と『私のための芸能野史』(ちくま文庫)に代表される小沢昭一さんの一連の仕事に、大変刺激を受けました。小沢さんは見世物の世界を積極的に肯定した人ですよね。ストリッパーなどを視野に入れ、高度経済成長とともに消えた猿回しを復活させるなど、中央とは違うところで生き続けてきた庶民の芸能に目を向けた。
小沢さん自身がある種の危機感を持って、そういうものを自らの足で精力的に探し回ったわけで、その意味では領域は違うけれども、美術の世界も自分の足で歩いて見て回るからこそ、見えてくる世界があると教えられました。
それから、もう一冊、見世物と祭礼の関係へと関心広げていくなかで出会ったのが、『猿猴(えんこう)庵(あん)の本』(復刻版 名古屋市博物館)。猿猴庵というのは文筆家兼画家で高力種信(1756-1831)という尾張藩士。名古屋城下での見世物・祭り・芝居・珍事などの出来事を、たいへん仔細に絵と言葉で記録し続けました。