日本の借金が急激かつ雪だるま式に膨らんだのは、平成の時代が始まってからである。高齢化による社会保障費などの歳出が増え続ける一方、税収はバブルが崩壊した1990年度を境に伸び悩み、その差はいわゆる「ワニの口」のように開いた。しかも、少子化により税の担い手が減り続けているから、まさしく、「開いた口が塞がらない」という構造赤字が続いている。その穴埋めは公債の発行で賄われてきた。
さらに、平成は、リーマン・ショックや東日本大震災など、大きな危機が起こるたびに、財政依存を深めてきた。これは、令和になっても踏襲され、コロナ禍での10万円の特別定額給付金をはじめ、年間の国家予算に匹敵する100兆円以上に上る巨額の財政出動を行った。
今、なぜ、平成という時代を振り返る必要があるのか?(前編)
今、なぜ、平成という時代を振り返る必要があるのか?(後編)
もちろん、有事の財政出動は、あって然るべきだが、問題はその規模感である。さらに問題なのは、平時の財政規律までもが弛緩し、今や各種の世論調査で国民の6~8割が「こんな財政運営でよいのか」と不安視しているのに、政治家はバラマキ合戦に明け暮れて、タガが外れた状況が続いている。
元財務官僚として、反省の弁を述べなければならないが、日本ほど財政規律に無頓着な先進国は存在しない。なぜなら、日本以外の先進国では、例えば経済対策の実行で財政出動する場合、財源の確保はセットで議論されるからだ。
コロナ禍の対策にあたって、英国では増税・歳出削減策を盛り込んだ新たな財政計画が公表され、独・仏でも償還計画が明らかにされている。米国では富裕層や大企業に対する課税強化などにより、財政赤字を今後10年間で3兆ドル近く削減する案が提案された。
そもそも、ドイツでは憲法で均衡財政が規定され、米国ではペイ・アズ・ユー・ゴーという財源確保ルールが法定されている。そんな中、日本には、返済計画が全くないのである。
これだけ財政規律が緩く、先進国でずば抜けて大きな借金を抱えているのに、日本では財政楽観論や減税論などがいまだに跋扈している。だが、そうした夢物語の中で、私が特に危惧するものとして「日本政府には資産があるから大丈夫」という議論、「基礎的財政収支(プライマリー・バランス)黒字化」の議論について、指摘したい。