平成以降の財政史は「財政健全化」と「デフレ脱却」にもがき続けた時代と言える。「政府債務残高」を「体重」にたとえれば、それはまるで「体重を減らそうとしてダイエットしたものの、努力が続かずリバウンドを繰り返し、もはや後戻りできないほど太ってしまった人間」のようだった。さながら、ダイエットは「財政健全化」で、リバウンドは景気対策に伴う「財政出動」とたとえられるだろう。
ダイエットの大敵はリバウンドである。日本の財政も橋本龍太郎内閣以降、一生懸命、体重を減らす努力(財政健全化)に取り組むも、リバウンドするという繰り返しであった。その様は、1975年以降の日本の政府全体(一般政府)の財政収支対国内総生産(GDP)比を示した図1にも表れている。
バブル崩壊後には財政赤字が拡大した。97年に橋本内閣の財政構造改革によりその赤字を減らそうとしたが、同年11月の金融危機で大手金融機関が破綻し、大規模な貸しはがしが起きて倒産する企業が相次いだ。その景気対策のために再び財政赤字が増えた。98年に首相に就いた小渕恵三氏は、自嘲して「世界一の借金王」と呼んだ。
2001年からの小泉純一郎内閣は、「自民党をぶっ壊す」と標榜して自民党総裁選に勝ち、既得権益にメスを入れ、財政支出も抑制した。これで財政赤字が減り始めたのだが、今度は08年のリーマン・ショックと11年の東日本大震災が襲った。復興対策も相まって、財政支出は膨張した。12年以降の第2次安倍晋三内閣では、消費税を増税したこともあり、税収が増え始めて、財政赤字が減っていった。しかし、20年以降、新型コロナウイルス対策のために膨大な予算を借金で賄った。
平成以降、日本にはおよそ10年ごとに大きな危機が訪れ、国債増発に伴う財政出動によってリバウンドし、元には戻れないほどの体重にまで膨れ上がった「ダイエットの失敗例」のような歴史であった。