1989年、歴史は動いた。前年から床に伏していた昭和天皇が1月7日に崩御。ただちに皇太子が即位し、翌日、元号は昭和から平成に改まった。2月にはソ連軍がアフガニスタンからの撤退を完了。侵攻が始まったのは79年だった。東西冷戦は危機的段階へと高められてゆき、第三次世界大戦はいよいよ秒読みと言われた。
そこから足掛け11年。一時は米国を軍事的に圧倒しているかのように思われたソ連は、米国に圧され直して、すっかり消耗していた。ペレストロイカ(再構築)を旗印に社会主義の立て直しをはかるゴルバチョフ政権は、ついにアフガニスタンを諦めた。
ついで6月は天安門事件である。自由を叫ぶ民衆の声はいったん押しつぶされた。けれど、中国の民主化の流れはもはやとどめがたく、共産党による強権的支配はもう長くは続くまい。西側の観測筋はそう信じるようになった。同じ6月には、リクルート事件をきっかけに竹下登内閣が総辞職した。自民党が万年与党の時代は終わりつつあるのではないか。政治不信は極限に達し、政局は甚だしく不安定化してゆく。
そして7月。伊豆の伊東の町の眼前で海底噴火が起き、噴煙が空に向かってそびえ立つ。それ自体は、地震と火山の国である日本としては特別に異常な光景ではなかった。想定内であった。大きな被害もなかったろう。しかし、それから列島に巻き起こってゆく数々の地異を知っていると、伊東の沖の噴煙はやはりひとつの予告編であったかとも思う。
さらに11月。社会主義の東ベルリンと資本主義の西ベルリンとを遮断していた「ベルリンの壁」を市民たちが崩しはじめる。冷戦の象徴が消えた。同じ月には、日本労働組合総連合会(連合)が誕生する。日本の労働運動にパラダイム・シフトが起きた。資本家と労働者がお互いに水と油のイデオロギーを押し立てて、対立し争議する時代は終わったと、すっかり信じられる時代になっていた。これからは労使協調だ。けんかせずとも、お互いが満足できる「豊かな社会」はよりいっそう実現されてゆくだろう。
右肩上がりは永遠に続く。資本主義や自由主義の土俵を壊す必要はもはや全くなくなった。これからの政治は思想対立でなく政策調整になる。みなが同じ土俵の上に立って、是々非々で議論すれば良い方向に回るだろう。政党も、保守と革新の対立ではなく、米国の民主党と共和党のような、より自由主義的かそうでないか程度の違いしかない二大政党でうまくいくに違いない。
そんな空気に取り巻かれて「連合」も誕生したのだろうが、12月にはその背中を米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ最高会議議長が押し切る。両者はマルタ島で会談し、東西冷戦の終結を宣言した。東欧諸国ではソ連型の社会主義政権が次々と崩壊していった。
1年によくこれだけのことがあったものである。12月29日、東京証券取引所の大納会で日経平均終値は3万8915円87銭をつけた。今年の2月22日に34年ぶりに更新されるまで、ずっと史上最高値だった。日本は西側という勝ち組の最有力な一員であり、21世紀は米国の一極支配のもと、世界全体が西側の価値観としきたりの上で安定するだろうから、未来の日本の国際的地位はもはや万全だという自信に、この国は溢れていた。政治改革がうまくいけば、鬼に金棒であろう。