2024年11月22日(金)

令和の日本再生へ 今こそ知りたい平成全史

2024年4月19日

 ところが、ついに千年王国の到来かと浮かれ切っていた日本の資本主義経済は、翌90年の正月からいきなり頭に冷や水を浴びせられた。東証の日経平均株価は大発会から下落に転じ、暴落を重ね、同年9月30日の日経平均終値は2万222円にまで転落した。9カ月でほぼ半値になってしまった。いわゆるバブル崩壊である。「失われたX年」という言い方のXとは、むろんバブル崩壊から何年ということであろう。平成の年の数から1を引けばXが導かれる道理だ。令和になっても、日本では相変わらず「失われた時代」が続いているのであろう。

 平成は31年まで。そのうちの頭のたった2年弱の内外の出来事をべっ見しただけである。しかし、平成から令和に至る時代の種は、この最初の2年に煎じ詰められているようにも思う。しかも、海底火山の噴火はともかく、東西冷戦の終結と日本のバブル崩壊とは、密接に絡み合っていただろう。

バブルを生んだ背景にあった国際情勢

 そもそも昭和の末期の日本で、なぜバブル景気が始まったのか。要因は幾つもある。だが、最大のポイントは85年の「プラザ合意」だ。米国のドル高を是正すべく、米英仏と西独と日本が協調して為替相場に介入する。ドルを売って、ポンドやフランやマルクや円を買う。ドル安を導く。なぜわざわざそんなことを?

 当時の米国は財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しんでおり、大げさに言えば、東西冷戦の高まりの中で、ソ連は明らかに息切れしつつあるのだが、米国も共倒れになりかねないという懸念があったからであろう。米国の負担を減らして西側の最終勝利を確実に導いてもらうために、米国を支えるべき西側の4大国が身を削って、自国の通貨をドルに対して上げ、対米輸出をわざわざ不利にする。これが「プラザ合意」であろう。

 米国の「双子の赤字」はなぜ収拾がつかなくなっていたのか。これまた東西冷戦の深まりと関係づけられる面がある。ソ連が軍事的に高飛車に出て、アフガニスタンに侵攻したときの米国は民主党政権で、大統領はカーターだった。東西の緊張をハト派的手法で緩和しようとした。ソ連に対して軍縮を求め、寛容の姿勢で臨んだ。米国の財政の重しは巨大な対ソ軍事費である。そこをいじらねばさすがの超大国も立ち行かない。要するに万事弱腰だった。ブレジネフ率いるソ連はチャンス到来と感じた。軍備拡張に努めた。通常戦力で米国を圧倒した。核で恫喝しながら、それを使わず、地上軍で西欧や日本を占領するシナリオが現実味を帯びた。

 そうはさせじ。81年に米国に登場したのが共和党のレーガン政権である。目には目を、歯には歯を、軍拡には軍拡を。軍事予算を大増額した。財政の健全化より安全保障優先だ。新兵器開発にお金をつぎ込み、ソ連との対決姿勢を鮮明にした。そのようにして、カーター時代にすっかり崩れた軍事的均衡を回復し、冷戦状態の再びの安定化をはかったとも言えるが、まるで第三次世界大戦をあおっているかのようにも見える。レーガンは世界を破滅させたいのか。

 特に西欧では戦争危機熱が高まり、それが欧州通貨不安に連動した。ポンドやフランやマルクが安くなり、結果、西欧諸国の対米輸出は促進された。日本はというと、そんな短期的情勢と関係なく、対米輸出で稼いで高度成長を遂げてきた実績を相変わらず積み重ねている。米国の貿易赤字の大きな部分は日本との取引が占めていた。


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