小誌が創刊した1989(平成元)年の約2年前、ある巨大組織が「崩壊」した。
日本国有鉄道(国鉄)のことである。
国鉄崩壊の要因はさまざまだが、一つには、全国一体運営の公共企業体であり、運賃や賃金、設備投資などはすべて、「国会の議決」が必要であった点が挙げられる。経営の根幹は民意に敏感な政治に握られていた。「当事者意識」が芽生えるはずがない。
しかも、政治は我田引水ならぬ「我田引鉄」とばかりに、不採算が明確な地方でも鉄路整備を掲げた。借金で経営状況が悪化してもなお、国会の議決を得るため、やるべきことが明確であっても、職員の要員合理化や赤字路線の廃止、運賃値上げなど、経営に直結する課題は〝先送り〟され続けた。
一方、現場では、一部を除き多くの職員が日々、職務遂行に奮闘していた。だが、公共企業体という経営形態もあり、「国鉄は倒産しない」「最後は国が何とかしてくれる」という意識が強く、まさに〝ゆでガエル〟状態のまま、衰退し、崩壊していった。