「転んでしまったときに、横に逃げればよかったのですが、なぜか後ろ向きに回ってしまったんです。そこに転んだみんなが私に乗ってきちゃって……」
「ずっと意識はありました。ボキッとすごい音がして身体にジュワーンと電流が走って、自分では訳がわからなくなって、首と肩が痛くて倒れていたんです。私が普段からふざけてばかりいる子だったので、その時も周りでは『また、あいつふざけてるよ』みたいに思われていたんです」
痛いと言いたくても声が出なかった。
その後、首が固定され救急車に乗せられた。搬送中に足の裏を触られ何度も『感覚ありますか』と反応を確かめられた。はじめは感覚があったが、徐々に感じなくなっていった。
オペまでの地獄の1週間
診断は頸椎の脱臼骨折。
「腫れているから緊急手術ができなくて、いったんこめかみに穴を明けて、ボルトを付けて、重りをさげて、首の牽引をして骨を離す治療をしたんです。アインシュタインみたいに、あれ? 違うな、誰だっけ? そうそうフランケンシュタインみたいにですよ。ここに穴を開けられたんです(自分のこめかみを指して)。ボルトがついて、重りが下がって、その1週間は地獄でした。重りが空中に浮いているので地震が来たらおわりです。天井を見ながら『地震が来たらどうしよう、地震が来たらどうしよう』と心配していました」
各務はムカデ競争の事故の様子を教室のホワイトボードを使って図解入りで説明してくれた。
中学のグラウンドから搬送され、入院、治療が始まったため髪の中は砂だらけだった。
「だから痒くて、痒くて、その上こめかみの傷口までが痒くなって、あの時は耐えるしかなかった」。しかし、自分では手を動かすことができない。そのうえ、少しでも頭が動くと激痛が走るので母親に耳かきをつかって掻いてもらっていた。
また、ほんの少しでも目に入る光が辛かったので、カーテンを閉め切り、部屋の明かりを消した。真っ暗な部屋の中でタオルをかぶった。
「この時の感覚って、髪の毛が一本首に乗っているだけでとても苦しく感じたんです。母に『苦しいんだけど、何かある?』と聞くと『髪の毛があるよ』と返ってきました。髪の毛一本でもこんなに苦しいのかって思いました」
他の感覚が無くなった分だけ残っている感覚が鋭くなっていたのかもしれない。
そんな中でも「団長どうしよう」と体育祭のことを考えていた。各務はそれほど体育祭に燃えていたのだ。
ベッドの上で優勝したことを聞いたときは号泣した。動けなくて、出られなくて、とても悔しいけれど嬉しかった。