1年遅れで高校に入学
階段は女友達4人が運んでくれた
中学卒業後、いったん養護学校に入るも、「にぎやかにはしゃぎたい。普通に女子高生がしたい」とすぐにやめた。その後、リハビリのために神奈川県の病院に入院。1年遅れで秦野市の高校に入学した。
この面接でも「この学校に名を残しま~す!」と大口を叩いたが、無事に合格できた。
ただ、学校は車いすの生徒を受け入れるのが初めてで、1階だけはスロープがあるものの、エレベーターはなくバリアフリーになっていなかった。
「1年生は1階だから楽しく過ごせたんです。でも2年生は2階、3年生は3階と階があがっていくんです。
そこで2年生にあがるときに『各務がいるから2年生を1階にしようか』という話が出たんですが、私一人のためにみんなを2階から1階にするのは嫌だし、3年生になると教室の外にバルコニーがあって、そこでみんなでおべんとうを食べる楽しみがあるのですが、それを取っちゃうのはもっと嫌だなと思ったんです。
だから『いいです2階で』と言いました。階段の昇り降りは女友達4人がいつも運んでくれました。朝1階で待っていてくれたり、私が「着いたよ」って電話を入れたり。全部人力で、凄かったんですよ、女4人が階段を走るんです。慣れてきて一段飛ばしとかしちゃって(笑)。『危ない危ない!』なんて言いながら、私が煽っちゃうんですよ、あっはは!」
類は友を呼ぶ。友達には恵まれていたようだ。
1年遅れの各務は高校2年生で運転免許を取得。「学校の行き帰りに友達を乗せないという条件で車通学が認められたんです」と話してくれたすぐあとに、「そんなこと守るわけもなく、学校を出るときに『じゃあ、また明日ね~』なんて言いながら、コンビニの駐車場で待っていて、みんなで遊びに行っていたんですよ」と笑う。
「きっと先生はわかっていたんだろうな~。いい先生でした」
ウィルチェアーラグビーとの出合い
ウィルチェアーラグビーとの出合いも高校2年生だった。リハビリ病院に入院していた時に選手たちから、「珠ちゃんもやらない?」と直接誘われたことがキッカケだ。しかし、「車いすの上げ下ろしも一人でできなくちゃいけないから、人の手を借りずに絶対に一人で行こう。」と決めていたことに加え、男性ばかりと聞いていたこともあって、すぐには動けず、高校3年の5月になって初めてウィルチェアーラグビーを見に行った。