そんな「利便性」や「おしゃれさ」を加えることで、「資材」として価格勝負で売られていた商品を、パーソナルユースのこだわりの商品に変えた。それで単価を高めに設定でき、収益性は大きく高まる。今後もより高付加価値の商品開発が課題だ。また、従来の文具・事務用品店ルートだけでなく、新たな流通の開拓や、個人向けにオンラインショップなどへも広げている。
代々受け継がれる「一代一起業」
ヤマトには代々、「一代一起業」的な発想が根付いているという。豊さんの父(現会長)で3代目の澄雄社長時代は、自動車を塗装する際のマスキングテープなど工業用を新たな柱にたて、自動車メーカーの海外進出に伴って、米国ミシガン州に工場を建設した。文具では、液状のりの工場もタイに建設した。
跡を継ぐことになる豊さんは、大学を卒業後、米国に留学したが、そのまま30代をニューヨークで過ごした。米国の金融機関ブラウン・ブラザース・ハリマン・アンド・カンパニーに就職、日本の金融機関を担当するマネージャーに就いた。帰国してヤマトの社長に就いたのが2000年。以来、グローバル化を推し進める一方で、ホビー・クラフト用品など新分野の開拓に力を入れてきた。
豊社長は「革新を続けながら、ニッチで生きていく」と語る。「そろばんが実社会から消えて久しいですが、そろばん塾はいまだに数多く存在し、『そろばん』は売れ続けています。また、『墨汁』も存続しています」という。ニッチにはニッチなりの生き方がある、というわけだ。もちろん、世の中のニーズやスタイルの変化に合わせて、商品の「形」やラインアップを見直していくことが重要なのは言うまでもない。
社長就任から20余年。経営者として成熟期に入ってきた豊社長はどんな「革新」を思い描いているのか。ヤマトの挑戦はまだまだ続きそうだ。
写真=湯澤 毅 Takeshi Yuzawa