勇気を出して枕元で「胃瘻という方法があるんだけど」と切り出した途端、父は意外にもキリっとした動作で(とはいえほんの数センチの動きだが)首を横に振った。この判断をもらえて、のちのちまで家族のトラウマになっていたかもしれないことが回避できたわけだ。
その後は、胃瘻をしない、という判断に基づき点滴の間隔が調整された。ただ、水分を入れない日には、家族の不安が増す。少しでも長く生きてもらうために手を尽く「さない」判断をしているようで、罪悪感が膨らむのである。
死んでほしくないより、楽であってほしい
こうした逡巡を払拭したのは、父の状態を見たあとの訪問医のひとことだった。
「いいかんじです。お父様はとても楽な状態です」。
……いいかんじ?
「理想的な状態です。痰も少なく、息がしやすい。ご自宅でご家族と一緒にいながら、身体もリラックスできているように見えます。お父様が苦しまないで自然な状態でいられるために、ベストが尽くせていると思います」
専門家の口からそう伝えてもらったことで、老衰を見守るという判断が「これでよかったんだ」と確認できたのは、むしろ生き残るわたしたちにとってすごく大きな励みになった。
本当なら選び難い「死んでほしくない」と「楽であってほしい」が同時に叶わない時、自分たち本位な願いになっている部分を一生懸命に引き剥がさなければならない。それは、父を分かろうとすること。『分かるは、分ける』という言葉があるが、まさに父と自分を分けるという作業である。
家族とは、個々が自立していると思っていてもどこかで心が癒着しているところがある。必死に育てたり、育ててもらったりという関係があるからだろう。だから親の認知症は受け入れ難いし、老衰も引き止めたくなる。思い入れのある存在から自分を剥がして分ける痛みは、状況を正確に把握したり、利他的な判断ができるようになるための成長痛かもしれない。
命の終わりを共有する
看取りの期間中、父の意識があるうちに大事な人たちと会えたら喜ぶかな、と思い立ち、彼の兄弟や友人らを何度か家に招くことにした。コロナ禍でなかなか会えなかった親しい人達の顔を見ると、父は目で追っていた。
来訪者たちがベッドを囲み、とても和やかなひとときが生まれた。その雰囲気は心地よかったようで、みんなの話をじっと聞きながら目の光が強くなったり、カメラで撮る時に顔を傾けたりと生き生きして見えた。認知症の母の表情も珍しく華やいでいた。
数日後、同じメンバーとお寺でまた会うことになった。父の葬儀である。生前の父と会ってくれた人たちは、悲しみだけでなく、温かく送り出す準備ができている柔らかい表情をしていたのが印象的だった。
これはややチャレンジングな試みだったと思っている。来訪者に緊張を強いてしまうかな、父もそんな状態で人に会いたくないかな、など迷いもあった。単に自己満足ではないかと疑ったりもした。