人間誰しもが経験すると言える終末期医療・介護と看取り。少子化と高齢化が同時進行する日本では、個人として、また社会としての受け皿が足りなくなろうとしている。昨年末に父親を自宅で看取った筆者がその課題について、自らの体験と当事者らへの取材から紐解いていく。今回は3回連載の1回目である。
対策すべきは「単身高齢者」のみならず「高齢者夫婦」も
「単身高齢者」に対する医療・介護環境の整備が叫ばれて久しい。2020年の国勢調査で単身高齢者は671万6806人にのぼり、社会全体で孤独死などをどう防ぐかが課題となっている。中年世代の未婚率増加を考えると、今後もますます「単身でどう生き切るか問題」が身近なものになると予測できる。
一方で、「高齢者夫婦」に対しての意識はややトーンダウンする印象がある。夫婦のそれまでの結婚生活同様、知恵や力を寄せながら日々を乗り越えていけるのではないかと想像するからだ。夫婦間の老々介護についても、問題を孕みつつも支援までにワンクッションあると感じさせる。
ただ、本当に、社会課題は「単身高齢者への支援」に限ったことなのだろうか。認知症や孤独死などが差し迫った問題として起こってくる「後期高齢者の夫婦世帯」は、むしろ年老いた2人での暮らしゆえの難題に直面する場合もあるのではないか。
先日、86歳の父を在宅で看取った筆者は、途中から2人とも認知症となった80代夫婦の歩みを見届けた。分かってきたのは、高齢になった時に必要なのは老後資金のみならず「支え手」なのではないか、ということだった。
高齢になって出てくる夫婦生活のストレス
仲睦まじく息の合った夫婦は高齢になってますます一心同体になるかと思いきや、そうとも限らないことがあるようだ。身体のしんどさなどから自分のことで手いっぱいになり、相手に「合わせる」こと自体がだんだんキツくなってくる。
それは、感情のもつれなどからパートナー関係を解消したくなる、といった若々しい話とは違い、解決策のないまま「耐えられない」感情が噴出するという、まわりにしてみれば「困ったなあ」としか言いようのない状態とも言える。
わたしの両親はオシドリ夫婦で、どこに行くにも一緒、何をするのも一緒という状態で50年以上連れ添ってきた。それが、互いに身体の衰えが増してくると、どうも様子が変わってきた。