「耳の遠い夫が大きな音でテレビを見ているのが耐えられない」、「返事をしてくれないから一緒にいても孤独極まりない」、と母が言い出したのだ。「大きな声で、耳の近くで話をすれば聞こえるよ」と言ってもそのようにしようとはしない。
父が以前と同じ状態でないことが受け入れられないように見える。「大事にしているわよ」「でももう限界」と何度も言い、ひとりの殻に閉じこもっていく。
彼女を見ていると、夫を大事に思う気持ちと一緒に居てキツいという感覚は軋みながら同居するのが分かる。そして、そんな愚痴をこぼす相手は子どもくらいしかいない。都市生活では、井戸端会議をするご近所さんはなかなかいないのだ。
この手詰まり感は、外から支援に入る訪問介護や訪問看護のプロにも向けられるようになる。不満や不安を表現する言葉が彼らにぶつけられるが、厳密に言えば介護や看護の業務に〝話し相手〟の仕事は含まれておらず、実際は思いやりや善意で対応してもらう中で負担をかけることになる。
介護を親族だけで担わず、介護制度を利用して介護業者を入れた方がいい、というあたりまではすでに常識化しているが、それで十分かと言われれば、高齢者や家族のクオリティオブライフ(QOL)を確保するには至らない。
そして、この問題は直面した時点ではすでに根本的な解決は困難な場合が多い。
自らが貢献してきた地域がセーフティーネットとなる
夫婦、介護士、介護に来るこども、といった相手しかまわりにいない環境は1日にして成らず。たとえばPTAや自治会といった人間関係を遠ざけ続けると、物理的に近くにいる人々、つまり地域社会とは疎遠になっていく。となると、何十年その地域に住んでいても「自分が地域をつくっている」意識も育たず、お隣は赤の他人という気楽さと孤独を邁進するほかなくなる。
しかし、身内や介護事業者だけが高齢者を見守ることの限界がすでに見え始めている日本社会では、地域社会で自分の居場所を持つことこそが、最終的に人生のセーフティーネットになると言える。現役を退いた瞬間から、「これまでメリットを感じずに関わってこなかった人たち」こそが、人生ファイナル期間のQOLのカギを握るのだ。高齢者夫婦での孤立や認知症、手詰まり感からくる鬱やセルフネグレクトなどは、外とのつながりがあることによってかなり防ぎやすくなる。
筆者は15年以上、平日は都心、週末は千葉県・南房総で暮らすという二地域居住をしており、集落の高齢者たちと親しくしている。彼らと話している時、自分が高齢者を見守っているという意識はない。
玄関先での立ち話、座り込んでの長話ではよく昔からの土地ことを話してくれる。目の前の風景は昔どんなだったか、あたりにこどもはどれくらいいたか、祭りでは何があったか、大変な思いをした災害の記憶、集落の家々の家族のありようの変化、農家という生き方の変化、冠婚葬祭のやり方からその理由まで、実に細やかな描写で面白い。
筆者に限らず、大学生など若者たちもそうした話には夢中になる。刺激や学びがあり、かけがえのない話だからだ。そして、それらを生き生きと語る彼らそのものもかけがえのない存在だとはっきり感じる。
高齢者は自分の自慢話ばかりする、といった定説があるが、それはその人が自分ばかりに集中した人生だったからだろうと推測する。地域活動にコミットし、「自分のいる場所の歴史の一部を担う」人たちは、実は高齢になってから多世代でつながる強力なコンテンツを持っていると言えるのではないか。そして、自分に固執しない生き方のカッコよさは、形骸化しないサステイナブルな魅力で若者たちを惹きつけるのである。
地域をつくってきた人は、つくってきた地域がそのまま自分の老後のセーフティーネットになる。そして「介護/被介護」という立場にはおさまらない人間関係にいてこそ、高齢者の生きがいや尊厳は保たれ続ける。
地域活動だけでない「仕事」という関わり方
普通に都市に働き暮らす人々は、今さら地域とつながるのは難しい、と感じるだろう。そこで力を発揮するのが「仕事」と言える。会社に雇用されるということは、収入だけでなく、居場所を確保し続けることにもなる。