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2021年1月23日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

 あれよあれよという間に2021年が始まった。今年は新型コロナウイルス禍で実家に帰省できなかった人も少なくないはずだが、それでも年明けは親族のことを1年でもっとも意識する時間だと言っていい。親や祖父母の姿に自分の遠い将来を重ねることもあっただろう。

 筆者の実家は東京にあるため、親族で相談して「できる限り感染対策して短時間でも顔を見に行こう」という選択肢を選んだ。今年面白かったのは、認知状態の進みつつある父が大学生・高校生・小学生の孫との五目並べ対決で全勝したことだ。短期記憶ができないこととゲームの強さは無関係なのだと知って驚いた。両親の事情も社会の事情も厳しくなる中、次はいつみんなで会えるだろうと思いながら味わう時間だった。

 前回の記事『人生100年時代の介護は生き方を再発見できる』では、筆者の介護経験を通じた学びについて伝えた。今回は「人生を100年生き抜くために、緊急ではないが重要なこと」について考えていく。ともあれば目前の問題解決に追われる日々の中で、「生き方を見直そうかな」と思うことがあるとしたら、それは「ああなりたい」と「ああなりたくない」をリアルに感じる経験こそがきっかけになり得る。そう考えると介護とは、親たちが身をもって示してくれる教材だと言える。

(maroke/gettyimages)

「評価」を糧に生き切るのは難しい

 人から認められたい、認められるために努力する、というのは健全な欲求だが、生活の中でどれほど「評価」の中で生きているかを改めて考えてみたい。

 仕事はまさに、評価が収入につながるものだ。友人付き合いは評価と無縁でありたいが、SNSなどでは他者の評価が友達の数に反映する。認められ、選ばれるためにしていることが自然と暮らしを覆っている。

 他者からの評価に翻弄されすぎると、歳を重ねた時に価値が目減りするのを憂う未来しかやってこない。介護関係の仕事をする知人は「名誉ある立場にあった人ほど引退後に現実と折り合って生きるのが大変で、孤独と虚しさが精神を蝕んでいく場合もある」と話していた。

 筆者の母は、建築業界で志を持って仕事に励む夫を支える人生だった。こどもながらに「内助の功」とはこのことだと思ってその姿を見ていた。若い頃に大きな病気をした夫の健康管理を徹底し、家庭を切り盛りし、自分よりも夫を大事にしていた。そんな仲睦まじい両親に安心していたが、高齢になった母は第2のエンプティネスト症候群(空の巣症候群)のような状態に陥った。

 79歳まで働いた夫が完全に仕事から身を引くと、その彼を支える母の方が次第に参ってしまったのだ。更年期障害から老人性鬱になったのだと思っていたけれど、口走る言葉の端々から、夫が社会から離れることで、支える立場としての虚しさが募るようになったのが原因の一つだと分かってきた。母はこれまで父に自己投影して自分の達成感を得ていたのだろう。

 父自体は「やり切った」という満足感とともに現役を退いたが、母にだけ虚しさが宿ったわけだ。二人三脚でやってきた夫婦とはいえ実はまるで違う経験を積み重ねていて、一緒にいても別々の老後が訪れていることを知る瞬間だった。自分の人生を生きること、評価の外側に自分の存在意義を見出すことの大事さを痛感しつつ、「支える喜びの先には虚しさしか残らないのか」とやるせない気持ちにもなった。

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